コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

第六天神社 (杉並区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天神社

拝殿とその手前に1771年明和8年)造の狛犬
所在地 東京都杉並区高井戸西1-7-2
位置 北緯35度40分44.58秒 東経139度36分43.89秒 / 北緯35.6790500度 東経139.6121917度 / 35.6790500; 139.6121917
主祭神 面足之命・惶根之命
社格 旧村社(近代社格制度
創建 不詳
別名 上高井戸第六天神社
第六天神社
六所様
第六天神(明治時代以前の呼称)
例祭 9月10日#祭事も参照)
テンプレートを表示

第六天神社(だいろくてんじんじゃ)は、東京都杉並区高井戸西にある神社[1]登記上の宗教法人名称は天神社(てんじんじゃ)。

祭神

[編集]

由緒

[編集]

創建年代は明らかではないが鎌倉時代の頃と言われており、1559年永禄2年)の小田原衆所領役帳において「高井堂」との記載がされている[2]。また、古くから当地(旧上高井戸村)の鎮守社であったと伝えられている[3]。なお、当社は明治時代以前には「第六天神」と呼ばれていた[3]

天保年間(1830年1843年)には本殿拝殿が焼失してしまう。その後しばらく仮殿の状態であったが、1856年安政3年)に現在の本殿を再建しており、1872年(明治5年)11月には近代社格制度における村社に列している。さらに1881年(明治14年)には拝殿も再建された[2]

中央自動車道の新設にともない社殿を後方に曳家することとなり、1972年昭和47年)6月には鉄筋コンクリート造による本殿の覆殿および幣殿が新築された[2][3][4][注 1]。加えて、この際には拝殿屋根の葺き替えや七社の境内社を祀る現在の末社殿(鉄筋コンクリート造板葺)の新築も行われている[2]

その他の多くの第六天神社(あるいは大六天神社)を含めて、元々は神仏習合の時代に第六天魔王波旬(はじゅん、サンスクリット語: पापीयस् pāpīyas、天魔、他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際に、その社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネに祭神を変更した。織田信長が自ら第六天魔王と名乗った由来の天部であった。

境内

[編集]

境内および当社拝殿への拝観は無料である。境内の末社殿には以下の境内社(七社)が祀られている。また、鳥居から拝殿に向かうと二対の狛犬が置かれている。手前(一対目)の狛犬が1917年大正6年)造、奥(二対目)の狛犬が1771年明和8年)造となっており、特に後者については焼失した旧社殿よりも前に造られた貴重なもので、杉並区の指定文化財にもなっている[2]

境内末社殿

境内社

[編集]

祭事

[編集]

かつての祭事

[編集]

明治以前の祭日は11月22日であった。1965年(昭和40年)頃までは宵宮(本祭前夜)になると、農作業を終えた人々が御神酒を飲みながら夜通し拝殿にこもる「おこもり」という風習があった。また、昭和初期までは「雨乞い神楽」も行われていた[4][5]

アクセス

[編集]

ギャラリー

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『杉並の神社』による当社の由緒では、本殿の覆殿と幣殿について「昭和四十七年六月に新築」とある[3]。一方、杉並区教育委員会による当社境内案内板「天神社」(由緒書き)や当社公式サイトでは、「鉄筋の覆殿が昭和五十年」に完成したことが記載されている[3]

出典

[編集]
  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典13 東京都』角川書店、1978年、887頁
  2. ^ a b c d e 第六天神社 (高井戸西)(神社と御朱印)
  3. ^ a b c d e f g 第六天神社|杉並区高井戸西の神社(猫の足あと)
  4. ^ a b 第六天神社(下高井戸浜田山八幡神社 公式サイト内)
  5. ^ 当社境内案内板「天神社」(杉並区教育委員会 昭和54年 (1979年) 2月1日)

兼務社

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]