第2次ミハイル・フラトコフ内閣
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(第二次ミハイル・フラトコフ内閣から転送)
第2次ミハイル・フラトコフ内閣(ロシア語: Второе правительство Фрадкова)は、ロシア連邦の内閣。約2ヶ月続いた第1次ミハイル・フラトコフ内閣から引き継いで組閣された。ミハイル・フラトコフ首相によって2004年5月12日から2007年9月12日までの約3年4ヶ月の間率いられた[1]。
ウラジーミル・プーチン大統領は2004年5月7日に議会の承認を得て大統領2期目に突入し、5月12日に首相のフラトコフが議会の承認を得、大統領によって指名された。また、他の17人の大臣は5月20日に議会の承認を得た。首相と17人の大臣は第一次内閣と同じ顔ぶれであり、唯一情報・通信大臣に就いたレオニード・レイマンのみが新任となった。8人の大臣はさらに以前のミハイル・カシヤノフ内閣でも同じ役についていた。
経過
[編集]- 地域発展大臣のポストが新設され、ベスラン学校占拠事件後、南部連邦管区大統領全権代表を解任されたウラジーミル・ヤコブレフがその任に就く。
- ドミトリー・コザクが官房長官をセルゲイ・ナルイシキンと交代し、ヤコブレフの代わりに南部連邦管区大統領全権代表に就く。
- 大統領府長官だったドミートリー・メドヴェージェフが第一副首相に就任。
- セルゲイ・イワノフが国防相兼任のまま副首相に就任。
- プーチン大統領は司法大臣のユーリ・チャイカを解任し、検事総長だったウラジーミル・ウスチノフを後任に任命。ユーリ・チャイカはウスチノフの後任として自身2度目の検事総長に就任した。
- セルゲイ・イワノフが副首相・国防相兼任から第一副首相に昇格し、セルゲイ・ナルイシキンが官房長官兼任のまま副首相に就任。後任の国防相に財務省連邦税務庁長官だったアナトリー・セルジュコフが就任。
- プーチン大統領はフラトコフ首相の辞任を受け入れ、法律に従って内閣は解散した。フラトコフは新首相のヴィクトル・ズプコフが就任する9月14日までは首相を続け、新内閣が発足した9月24日、ゲルマン・グレフ、ウラジーミル・ヤコブレフ、ミハイル・ズラボフが解任された。
閣僚
[編集]職名[2] | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 | |
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首相 | ミハイル・フラトコフ | 2004年5月12日 | 2007年9月14日 | (留任) | |
第一副首相 | ドミートリー・メドヴェージェフ | 2005年11月14日 | 2007年9月24日 | - | |
第一副首相 | セルゲイ・イワノフ | 2007年2月15日 | 2007年9月24日 | 副首相・国防大臣から昇格 | |
副首相 | アレクサンドル・ジューコフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
副首相 | セルゲイ・イワノフ | 2005年11月14日 | 2007年2月15日 | 国防大臣兼任 | |
セルゲイ・ナルイシキン | 2007年2月15日 | 2007年9月24日 | 官房長官兼任 | ||
内務大臣 | ラシド・ヌルガリエフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
非常事態大臣 | セルゲイ・ショイグ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
保健・福祉大臣 | ミハイル・ズラボフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
外務大臣 | セルゲイ・ラブロフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
情報・通信大臣 | レオニード・レイマン | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | - | |
文化・マスメディア大臣 | アレクサンドル・ソコロフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
国防大臣 | セルゲイ・イワノフ | 2004年5月20日 | 2007年2月15日 | (留任)/2005年11月14日から副首相兼任 | |
アナトリー・セルジュコフ | 2007年2月15日 | 2007年9月24日 | - | ||
教育科学大臣 | アンドレイ・フルセンコ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
天然資源大臣 | ユーリ・トルトネフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
地域発展大臣 | ウラジーミル・ヤコブレフ | 2004年9月13日 | 2007年9月24日 | - | |
農業・漁業大臣 | アレクセイ・ゴルデーエフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
エネルギー・産業大臣 | ヴィクトル・フリステンコ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
運輸大臣 | イーゴリ・レヴィチン | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
財務大臣 | アレクセイ・クドリン | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
経済発展・貿易大臣 | ゲルマン・グレフ | 2004年5月20日 | 2007年9月24日 | (留任) | |
司法大臣 | ユーリ・チャイカ | 2004年5月20日 | 2006年6月23日 | (留任)、検事総長に異動 | |
ウラジーミル・ウスチノフ | 2006年6月23日 | 2007年9月24日 | 検事総長から異動 | ||
官房長官 | ドミトリー・コザク | 2004年5月20日 | 2004年9月13日 | (留任) | |
セルゲイ・ナルイシキン | 2004年9月13日 | 2007年9月24日 | 2007年2月15日から副首相兼任 |
脚注
[編集]- ^ Указом Президента Российской Федерации от 12.09.2007 № 1184 «О Правительстве Российской Федерации» принято заявление Председателя Правительства РФ и объявлено об отставке Правительства РФ. Тем же указом Президент РФ поручил Правительству РФ продолжать исполнять свои обязанности до формирования нового Правительства РФ.
- ^ Согласно Конституции Российской Федерации Правительство Российской Федерации состоит из Председателя Правительства Российской Федерации, заместителей Председателя Правительства Российской Федерации и федеральных министров. Структуру федеральных органов исполнительной власти и кандидатуры на должности заместителей Председателя Правительства Российской Федерации и федеральных министров утверждает Президент Российской Федерации по представлению Председателя Правительства Российской Федерации.