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第二次イーペル会戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第二次イーペル会戦
Zweite Flandernschlacht
Second Battle of Ypres
Deuxième bataille d'Ypres

第二次イーペル戦後の前線の推移。ドイツ軍はイーペルを砲兵圏内である5km以内に捉えた。
戦争第一次世界大戦西部戦線
年月日1915年4月22日 - 5月25日
場所ベルギーの旗 ベルギー ウェスト=フランデレン州 イーペル
結果:ドイツ軍の勝利、ドイツ軍によるイーペルの事実上の占領。
交戦勢力
イギリス帝国の旗 イギリス帝国

フランス第三共和政の旗 フランス第三共和政

ベルギーの旗 ベルギー

ドイツ帝国の旗 ドイツ帝国
指導者・指揮官
イギリス帝国の旗 ホレス・スミス=ドリエン英語版
イギリス帝国の旗 ハーバート・プルーマー第一子爵英語版
カナダの旗 アーサー・カリー英語版
フランス第三共和政の旗 アンリ・ガブリエル・プッツ英語版
ベルギーの旗 アルマン・ド・セルニンク英語版
ドイツ帝国の旗 ヴュルテンベルク候アルブレヒト
戦力
3個 フランス師団
1個 カナダ師団
5個 イギリス師団
7個師団
損害
イギリス・カナダ兵 59,275人
フランス兵 27,500人+(4月22日のみでおよそ7割である18,000人が戦死)
35,000人+
西部戦線 (第一次世界大戦)

第二次イーペル会戦は、第一次世界大戦中の1915年4月22日から5月25日にかけて行われた、イーペルの戦いにおける2回目のドイツ軍の攻勢。連合軍の反攻によって前年秋に失陥したイーペルを再び奪取するため行われた。 この戦いでは人類史上初めて戦線レベルの大規模な毒ガス攻撃が行われ、ドイツ軍の散布した塩素ガスと砲列の集中砲火は、連合軍を駆逐し、イーペルは灰塵と化した。

背景

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塹壕の行き詰まりを打開するための武器として空気より重い塩素ガスの使用を提案したドイツの化学者、フリッツ・ハーバー

ドイツの著名な化学者であるヴァルター・ネルンストは、1914年にボランティア運転手として軍隊に参加し、塹壕戦が膠着している様を目の当たりにした。そこで彼は、科学者との連絡を担当するドイツ軍参謀のマックス・バウアー大佐に、催涙ガスによる奇襲で相手を塹壕から追い出すことを提案した。化学者のフリッツ・ハーバーは、このアイデアの実地試験を観察し、より比重の重い塩素ガスを使うことを提案した。[1]

ドイツ軍司令官エーリッヒ・フォン・ファルケンハインはこの新兵器の試用に同意したが、第4軍による陽動作戦に使用するつもりだった。[2]ファルケンハインは、同盟国オーストリア=ハンガリーロシア帝国に対するゴリツェ=タルヌフ攻勢を援助するために部隊が東部戦線へ移動したことを隠すためにガスを使用しようと考えた。[3]ガスの放出方法はシリンダーから液体塩素を吸い出して噴霧するものだったが、バルブが凍ってしまってガスを直接放出できなかったため、風でガスを敵陣に飛ばすこととした。合計5730本のガスボンベが前線に運び込まれ、最も大きいものは1本40キログラム(88ポンド)もあった。ガス筒の設置は、ハーバー、オットー・ハーンジェームズ・フランクグスタフ・ヘルツが監督した。砲弾でシリンダーが2度破壊され、2回目には3人が死亡し、50人が負傷した。ドイツ軍の中には、鉱山労働者の酸素呼吸器によって保護された者もいた。

作戦の実施場所にはイーペル稜線が選ばれた。この高地は運河に沿って町の東周を囲む形になっており、稜線の北側ではベルギー軍がエイゼル川の戦線を守り、稜線の南部はフランス軍の2個師団が守っていた。[4]中央部に展開していた守備部隊主力のイギリス第二軍の第二軍団と第五軍団は、第一、第二、第三騎兵師団と第四、第二十七、第二十八、ノーサンブリア、ラホール、第一カナダ師団で構成されていた。[5]

戦闘の経過

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イギリス軍のE・A・ジェームズ中尉は自著『フランドルにおける 1914~1918 年の英仏軍の交戦記録』にて、各戦闘の概要と関与した編隊を記載している。同著の「1915年のイーペルの戦い」では、英第2軍が関与した6回の戦闘が記録されており、その内の4回が「第2次会戦(4月22日~5月25日)」に該当する。

  • グラーヴェンシュターフェルの戦い 4月22日~23日
  • サン・ジュリアンの戦い:4月23日~5月4日
  • フレゼンベルクの戦い 5月8日~13日
  • ベルワールの戦い:5月24日~25日

グラーヴェンシュターフェル峰の戦い(1915年4月22〜23日)

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22日のドイツ軍攻勢でガス攻撃を受けるフランス海外部隊および植民地軍英語版を描いた作品。イギリスの戦争画家、ウィリアム・ロバーツ(en)の代表作。
ランゲマルク=プールカペッレにて:ランゲマルク戦争墓地(en)のすぐ西の位置から、ガス攻撃を行ったドイツ軍の塹壕跡地に向かってほぼ真北を撮影。この周辺のドイツ軍塹壕は左側の農家から右側の柳の木立まで続いていた。

1915年4月22日午後5時頃、ドイツ帝国第4軍はフランス海外部隊とモロッコ及びアルジェリアからの植民地軍(en)が守備するランゲマルク村(北緯50度55分 東経02度55分 / 北緯50.917度 東経2.917度 / 50.917; 2.917)からグラーヴェンシュタフェル村(北緯50度53分28秒 東経2度58分44秒 / 北緯50.891度 東経2.979度 / 50.891; 2.979)までの6.5キロメートルで171トン(168ロングトン)の塩素ガスを放出した。[6]ガス雲の通り道にいたフランス軍は2,000~3,000人の死傷者を出し、800~1,400人が死亡した。[7]部隊が崩壊した前線では、

...憔悴し、コートを捨てるか羽織っただけの兵士達が、スカーフを投げ捨てて狂ったようにあちこちへと走り、水を求めて叫び、血を吐き、中には喘ぎながら地面を転がる者もいた。
第90歩兵旅団、アンリ・モルダック大佐[8]

脚注

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  1. ^ Elhassan, Khalid (July 17, 2019). “Fritz Haber, the Monster Who Made the Modern World Possible” (英語). History Collection. 17 May 2023閲覧。
  2. ^ Die Operationen des Jahres 1915 ; [2. Die Ereignisse im Westen im Frühjahr und Sommer, im Osten vom Frühjahr bis zum Jahresschluß (8. 1932)]” (ドイツ語). Landes Bibliothek. 17 May 2023閲覧。
  3. ^ Robson, Stuart (2007) (英語). The First World War (1 ed.). Harrow, England: Pearson Longman. pp. 29. ISBN 978-1-4058-2471-2. http://archive.org/details/firstworldwar0000robs_r5x1 
  4. ^ Edmonds & Wynne 1995, pp. 375–376.
  5. ^ Edmonds & Wynne 1995, pp. 370–374.
  6. ^ Edmonds & Wynne 1995, pp. 176–178.
  7. ^ Greenhalgh 2014, pp. 89–91.
  8. ^ Greenhalgh 2014, p. 91.


参考文献

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  • Croddy, E.; Wirtz, J. J. (2005). Weapons of Mass Destruction: an Encyclopaedia of Worldwide Policy, Technology and History. ABC-CLIO. ISBN 978-1-85109-490-5 
  • Edmonds, J. E.; Wynne, G. C. (1995). Military Operations France and Belgium, 1915: Winter 1915: Battle of Neuve Chapelle: Battles of Ypres. History of the Great War Based on Official Documents by Direction of the Historical Section of the Committee of Imperial Defence. I (Imperial War Museum and Battery Press ed.). London: Macmillan. ISBN 978-0-89839-218-0 
  • Greenfield, R. A.; Brown, I. M.; Hutchins, J. B.; Iandolo, J. J.; Jackson, R.; Slater, L. M.; Bronze, M. S. (2002). “Microbiological, Biological, and Chemical Weapons of Warfare and Terrorism”. Am. J. Med. Sci. 323 (6): 326–340. doi:10.1097/00000441-200206000-00005. PMID 12074487. 
  • Greenhalgh, Elizabeth (2014). The French Army and the First World War. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 978-1-107-60568-8 
  • Haber, L. F. (1986). The Poisonous Cloud: Chemical Warfare in the First World War. Oxford: Clarendon Press. ISBN 978-0-19-858142-0 
  • Hobbes, N. (2003). Essential Militaria. Atlantic Books. ISBN 978-1-84354-229-2 
  • Nicholson, G. W. L. (1964). Canadian Expeditionary Force 1914–1919. Official History of the Canadian Army in the First World War (2nd corr. online ed.). Ottawa: Queen's Printer and Controller of Stationary. OCLC 557523890. http://www.cmp-cpm.forces.gc.ca/dhh-dhp/his/docs/CEF_e.pdf 

外部リンク

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