第二十一号型水雷艇
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第二十一号型水雷艇 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 水雷艇 |
艦名 | 番号 |
前級 | 第十五号型水雷艇 |
次級 | 第二十二号型水雷艇 |
要目(竣工時) | |
排水量 | 常備:80トン |
全長 | 垂線間長:36.00m (118ft 1in) |
全幅 | 4.01m (13ft 2in) |
吃水 | 1.19m (3ft 11in) |
機関 | ノルマン式水管缶1基 直立式3気筒3段膨張レシプロ1基 1軸、1,050馬力(計画)、1,018馬力(公試)[1] |
速力 | 20.25ノット(計画)、19.84ノット(公試)[2] |
航続距離 | |
燃料 | 石炭:15.8トン[3](満載) |
乗員 | |
兵装 | 47mm保式単装軽速射砲1基 36cm(推定)[4]魚雷発射管 旋回式2門、固定式1門 |
同型艦 | 2隻 |
第二十一号型水雷艇(だいにじゅういちごうがたすいらいてい、旧字体:第二十一號型水雷艇)は、日本海軍の二等水雷艇。同型艇2隻。
1889年(明治22年)度の計画によりフランス・ノルマン社に1隻が発注され、1891年(明治24年)度に図面により1隻が国内で建造された。2隻は第十五号型水雷艇と同じく「ノルマン型」と呼ばれている。第十五号型より一回り船体が大きくなり艦首魚雷発射管は艦内に装備するようになった。両艇とも日清戦争に最新鋭艇として第21号は1895年(明治28年)2月5日未明の威海衛攻撃に第2艇隊の司令艇として参加、座礁した第8号を助けて帰投した。また第24号は澎湖島攻略に参加した。日露戦争では津軽海峡での哨戒任務に従事した。
同型艦
[編集]竣工日の後は建造所。小野浜造船所は1893年 (明治26年) より呉鎮守府造船支部と改称。
- 第21号 : 1894年(明治27年)6月27日竣工(ノルマン)。1911年(明治44年)4月1日除籍。
- 第24号 : 1895年(明治28年)1月25日竣工(呉造船支部)。1911年(明治44年)4月1日除籍、東京高等商船学校の練習船となる。
脚注
[編集]- ^ 『日本駆逐艦物語』によると1,150馬力。
- ^ 『日本駆逐艦物語』によると20ノット。
- ^ 『日本駆逐艦物語』によると15.5トン。
- ^ 『日本駆逐艦物語』では口径38cmとなっているが38cmの魚雷があるか不明。誤植の可能性もある。
参考文献
[編集]- 中川努「日本海軍特務艦船史」『世界の艦船 増刊第47集』海人社、1997年3月号増刊、第522集。
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』。光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
- 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。ISBN 4-562-01873-9