白鷹 (水雷艇)
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艦歴 | |
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計画 | 1896年度 |
起工 | 1899年3月[1] |
進水 | 1899年6月10日 |
竣工 | 1900年6月22日 |
除籍 | 1922年11月15日雑役船へ |
その後 | 1926年廃船、売却 |
要目 | |
排水量 | 常備:127トン |
全長 | 垂線間長:46.50m (152ft 6in 3/4) |
全幅 | 5.10m (16ft 8in 25/32) |
吃水 | 1.25m (4ft 1in 7/32)[2] |
機関 | ソーニクロフト式缶2基 直立式3気筒3段膨張レシプロ2基 2軸 2,600馬力 |
速力 | 28ノット(計画)、25.14ノット(公試)[3] |
航続距離 | |
燃料 | 石炭:25トン[4](満載) |
乗員 | 30名 |
兵装 (1920年) |
5.7cm山内式単装速射砲3基 45cm水上魚雷発射管 単装旋回式3基 |
白鷹(しらたか)は日本海軍の水雷艇。艦名は羽毛が白みを帯びた鷹の総称を意味する[5]。
概要
[編集]当初「120トン2号水雷艇」と仮称し1900年(明治33年)にドイツ・シーシャウ社で建造、三菱長崎造船所で組み立てられた。フランス・ノルマン社建造の「隼」との比較の結果[6]、隼型水雷艇が量産され、そのため本艇に同型艦は無かった。艦型は太い1本煙突をもった独特のシルエットを有していた。
竣工後は竹敷要港部に所属、日露戦争では旅順攻略戦に参加、日本海海戦には第16艇隊の司令艇として参加した。1922年(大正11年)11月15日雑役船(曳船兼交通船)に編入、1926年(大正15年)1月18日廃船、同年4月6日売却された。
脚注
[編集]- ^ 『日本海軍 艦船名考』104頁。
- ^ それぞれの値はフィート、インチをメートルに換算、小数点以下3位を四捨五入したもの。フィート、インチの値は『戦史叢書 海軍軍戦備1』の附表1-3「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」による。吃水の値は『日本駆逐艦物語』では4フィート9インチ(約1.45m)、『世界の艦船 増刊第47集』では1.44mとなっている。
- ^ 公試成績は『世界の艦船 増刊第47集』による。
- ^ 『世界の艦船 増刊第47集』による。『戦史叢書 海軍軍戦備1』の附表1-3によると24.61トン。
- ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p491。
- ^ 『世界の艦船 増刊第47集』p121。『日本駆逐艦物語』では「おそらく」と推測している。
関連項目
[編集]- 白鷹 [II]
参考文献
[編集]- 浅井将秀編『日本海軍 艦船名考』東京水交社、1928年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
- 中川努「日本海軍特務艦船史」
- 『世界の艦船 増刊第47集』海人社、1997年3月号増刊、第522集。
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
- 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。ISBN 4-562-01873-9