笑鬼会
笑鬼会(しょうきかい)は、大阪生まれの元落語家で遊戯文芸研究家の乙田東洋司が主宰する[1]、上方言語遊戯の愛好グループ。
概要
[編集]乙田が、親友・若井ぼん、横山やすし両名と、1966年(昭和41年)3月20日、大阪市立労働会館において、「上方ことば遊びと総合イチビリ集団 落語・漫才を基礎にした社交上達話法の会」を結成したのが始まりで、その2ヶ月後グループ名を「笑鬼会」と改名。名称の由来は「正気かい」のシャレ[1]であり、また鬼のような怖い人でも笑わす会という意味。
活動は案内状にあたる「笑集令状」で指定する会場で月ごとに開かれ、しゃれ言葉、謎掛け、折り込み川柳、回文等々の言語遊戯を練習し、ユーモア士の段位を認定するというもの。
師範一覧
[編集]- 笑学師範 若井ぼん
- 笑学師範 内海カッパ
- 教務師範 桂福団治
- 本院師範 相羽秋夫
- 本院師範 古川嘉一郎
- 本院師範 井澤壽治
- 本院師範 旭堂小南陵
- 本院師範 宮貫一
- 本院師範 ミヤ雀仙
- 練導師範 青芝フック
- 練導師範 今宮エビス
- 観導師範 石井光三
- 名誉師範 桂春団治
- 宗家 乙田東洋司
作品
[編集]主宰の乙田は、1981年3月10日、同会において以下の「回文八重襷」を発表した[1]。
わ | か | や | ま | や | さ | く | の | べ | の | く | さ | や | ま | や | か | わ |
か | か | る | る | か | か | |||||||||||
や | が | せ | せ | が | や | |||||||||||
ま | よ | な | な | よ | ま | |||||||||||
や | る | せ | な | い | か | な | い | に | い | な | か | い | な | せ | る | や |
さ | か | の | の | か | さ | |||||||||||
く | な | め | め | な | く | |||||||||||
の | い | や | や | い | の | |||||||||||
べ | に | あ | に | べ | ||||||||||||
の | い | や | や | い | の | |||||||||||
く | な | め | め | な | く | |||||||||||
さ | か | の | の | か | さ | |||||||||||
や | る | せ | な | い | か | な | い | に | い | な | か | い | な | せ | る | や |
ま | よ | な | な | よ | ま | |||||||||||
や | が | せ | せ | が | や | |||||||||||
か | か | る | る | か | か | |||||||||||
わ | か | や | ま | や | さ | く | の | べ | の | く | さ | や | ま | や | か | わ |
「和歌山や 咲く野辺の草 山や川」「やるせない 家内に田舎 去(い)なせるや」「和歌がよい 飲めやアヤメの 伊予が川」の3種の回文を四角・X型・井桁型に通したものである。
イベント
[編集]外部でのアピールも必要と、1969年5月3日「みんなで東京へコーヒーを飲みにいこやんけツアー」を開催したのを皮切りに、翌年8月28日には、心斎橋・日立ホールにおいて、「プロ・アマ合体 笑鬼会4・1/2周年記念10円寄席」を開催した。ぼん、やすしのほか、福団治、カッパ、石井光三らの尽力で、多数の関西芸能人が出演した。
このほか、1971年3月1日、前年にそれぞれ上方漫才大賞、上方漫才大賞新人賞を受賞した横山やすし・西川きよしとコメディNo.1を記念するパーティーを主催するなど、笑鬼会に関係する芸能人の祝賀パーティー、激励パーティーを多数催した。
1991年、笑鬼会本院創立25周年祝賀パーティを開催。3代目春団治、4代目福団治、3代目小南陵、石井、相羽のほか、大阪府知事中川和雄、2代目露の五郎、2代目桂ざこば、織田正吉、足立克己、和多田勝らが参加した。