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笑鬼会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

笑鬼会(しょうきかい)は、大阪生まれの元落語家遊戯文芸研究家の乙田東洋司が主宰する[1]、上方言語遊戯の愛好グループ。

概要

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乙田が、親友・若井ぼん横山やすし両名と、1966年(昭和41年)3月20日、大阪市立労働会館において、「上方ことば遊びと総合イチビリ集団 落語・漫才を基礎にした社交上達話法の会」を結成したのが始まりで、その2ヶ月後グループ名を「笑鬼会」と改名。名称の由来は「正気かい」のシャレ[1]であり、また鬼のような怖い人でも笑わす会という意味。

活動は案内状にあたる「笑集令状」で指定する会場で月ごとに開かれ、しゃれ言葉謎掛け折り込み川柳回文等々の言語遊戯を練習し、ユーモア士の段位を認定するというもの。

師範一覧

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作品

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主宰の乙田は、1981年3月10日、同会において以下の「回文八重襷」を発表した[1]

「和歌山や 咲く野辺の草 山や川」「やるせない 家内に田舎 去(い)なせるや」「和歌がよい 飲めやアヤメの 伊予が川」の3種の回文を四角・X型・井桁型に通したものである。

イベント

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外部でのアピールも必要と、1969年5月3日「みんなで東京へコーヒーを飲みにいこやんけツアー」を開催したのを皮切りに、翌年8月28日には、心斎橋・日立ホールにおいて、「プロ・アマ合体 笑鬼会4・1/2周年記念10円寄席」を開催した。ぼん、やすしのほか、福団治、カッパ、石井光三らの尽力で、多数の関西芸能人が出演した。

このほか、1971年3月1日、前年にそれぞれ上方漫才大賞、上方漫才大賞新人賞を受賞した横山やすし・西川きよしコメディNo.1を記念するパーティーを主催するなど、笑鬼会に関係する芸能人の祝賀パーティー、激励パーティーを多数催した。

1991年、笑鬼会本院創立25周年祝賀パーティを開催。3代目春団治、4代目福団治、3代目小南陵、石井、相羽のほか、大阪府知事中川和雄2代目露の五郎2代目桂ざこば織田正吉足立克己和多田勝らが参加した。

脚注

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  1. ^ a b c 木津川計『上方の笑い』講談社現代新書、1984年 pp.8-9