竹田由松
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竹田 由松[1](たけだ よしまつ、1856年9月6日(安政3年8月8日)[2][3] - 没年不明)は、日本の商人(皮革商)、資産家[2][3][4]、家主[5][6]。族籍は大阪府平民[2][3][6]。
人物
[編集]大阪府人・竹田芳蔵の長男[2][4][5]。家は貧しく、代々小作農であった[1]。幼少の頃は農事に携わっていたが、性来剛毅果断の由松は一寒村の小作農として甘んずることはできなかった[1]。よって単身大阪市に出て丁稚奉公をした[1]。
1869年に皮革商店員となり[2][3]、1877年に独立皮革商を開業、同年に家督を相続する[2][4][5]。刻苦勉励、富を積み[2][3]、資産家として知られる[4]。
栄幼稚園建設の為に建築敷地として土地、建築物3棟、その付属建物器具を寄付する[1]。また仏教大学(現・龍谷大学)に図書館建設の工費3万円を寄付する[7]。公共慈善事業に尽くす[2]。
1929年に大阪市立栄家政女学校校舎建築費並びに敷地として金5万2000円及び土地4畝23歩余を寄付したため1936年に褒状を下賜される[8]。住所は大阪市南区木津北島町1丁目[2]、大阪市浪速区栄町1丁目[8]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 竹田家
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『勅定褒章条例六十年史』535頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』た146頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』た125頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第8版』タ185頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月23日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』タ178頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月24日閲覧。
- ^ a b 『大日本長者名鑑』関西55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月28日閲覧。
- ^ インタビュー北崎豊二 総合的な研究への条件が整った - 『大阪の部落史』史料編・近代を発刊して - 、『部落解放』2004年12月号(542号)、解放出版社発行。
- ^ a b 『官報 1936年02月19日』官報 第2737号 467頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月29日閲覧。
- ^ a b 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』121頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月16日閲覧。
- ^ 『大大阪営業名鑑』1806頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月20日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 下』タ172頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月23日閲覧。
- ^ 明石民蔵の二男・省三について - 明石民蔵研究ノート山内政夫、GLOBE NO95 2018 autumn、2021年5月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 秦重吉編『大大阪営業名鑑』大大阪営業名鑑発行社、1925年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1936年02月19日』日本マイクロ写真、1936年。
- 大日本勅定褒章協会編『勅定褒章条例六十年史』大日本勅定褒章協会、1941年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。