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竹本由紀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹本 由紀夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県伊東市
生年月日 (1956-08-01) 1956年8月1日(68歳)
身長
体重
183 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 ドラフト1位
初出場 1981年5月27日
最終出場 1984年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

竹本 由紀夫(たけもと ゆきお、1956年8月1日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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修善寺工業高では2年からエースとして活躍、3年生となった1974年夏の県大会では準決勝に進出するが、清水市商高に逆転負け、甲子園には届かなかった。県内では高橋三千丈(静岡商~明治大~中日)と共に将来性豊かな投手だった。

高校卒業後は、社会人野球新日本製鐵室蘭に入団。1979年都市対抗ではエースとして投げ、高梨英夫大昭和製紙北海道から補強)が放った当時の通算新記録となる決勝ホームランなどもあり、ベスト8に進出。また、第4回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、日本の準優勝に貢献した。同年のドラフト会議ロッテオリオンズから1位指名を受けるが入団を拒否した。

1980年、第26回アマチュア野球世界選手権の代表に選ばれキューバ戦などで好投、都市対抗では大昭和製紙北海道の補強選手として出場。初戦では、世界選手権代表の長谷部優を擁する松下電器と対戦。4回からリリーフとして登板し、5-4と逃げ勝つ。準々決勝では東芝府中と戦い、高梨の新記録となる通算8号ホームランを放ち先制すると8回にも高梨が決勝打を打ち浜師勝彦との室蘭リレーで勝ちベスト4に進出した。同年は、石毛宏典プリンスホテル西武)、原辰徳東海大巨人)とともに御三家として注目を集め、ドラフト会議ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団した[1]

当初は右腕の本格派で、社会人ナンバーワン右腕として即先発ローテーション入りを期待されたが、結局1勝も挙げることができず1984年に引退[1]。わずか4年でプロ野球生活の幕を閉じた。

引退後は飲食店経営に携わるなどしたが失敗が続き、2010年の時点で消息が掴めていない[2]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1981 ヤクルト 17 2 0 0 0 0 3 0 -- .000 129 29.0 28 2 16 1 3 20 0 0 16 12 3.72 1.52
1982 3 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 54 14.1 9 1 5 0 0 10 1 0 5 5 3.21 0.98
1983 12 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 112 24.0 28 6 12 0 1 18 1 1 20 17 6.38 1.67
1984 5 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 23 5.1 4 1 4 1 0 4 0 0 4 4 6.75 1.50
通算:4年 37 6 0 0 0 0 5 0 -- .000 318 72.2 69 10 37 2 4 52 2 1 45 38 4.71 1.46

記録

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背番号

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  • 15(1981年 - 1984年)

脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、333ページ
  2. ^ 「時代」を彩った男と女・あの人は今 元ヤクルト(ドラフト1位)・竹本由紀夫さん”. リアルライブ (2010年1月12日). 2023年4月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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