コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

竹本大隅太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹本 大隅大夫(たけもと おおすみたゆう)は、義太夫節の太夫。

初代

[編集]

寛政9年(1797年) - 元治元年11月13日1864年12月11日))本名は尾張屋新兵衛

大和初瀬の出身。2代目竹本土佐太夫(後の竹本播磨大掾)の門下で百合太夫、三根太夫、1838年に大隅太夫(または大住太夫)となった。10年以上江戸で修業した後に1860年に大坂に下り活躍。

2代目

[編集]

生没年不詳

初代大隅太夫の門下で初代竹本伊達太夫1865年に2代目大隅太夫を大坂で襲名。後に失明をしたという。

同時期江戸では同じ初代の門弟の大和太夫が2代目大隅太夫を襲名した事により2人の大隅太夫が存在した。

3代目

[編集]

安政元年(1854年) - 大正2年(1913年7月31日)本名は井上重吉。

大坂順慶町の生まれ、1869年に5代目竹本春太夫の門下で初代竹本春子太夫1884年に3代目大隅太夫を襲名。1890年彦六座の櫓下。当たり芸は「摂州合邦辻」等。レコードを多く残した。相三味線を務めたのが2代目豐澤團平、その後は3代目鶴澤清六と変わった。

巡業先の台湾台南で脳梗塞で死去。

4代目

[編集]

明治15年(1882年10月27日 - 昭和27年(1952年7月12日)本名は永田安太郎。

3代目鶴澤清六の甥。静岡の生まれ、20歳で鶴澤淺吉に入門、1904年に太夫に変え3代目大隅太夫の門下で静太夫。1927年に4代目大隅太夫を襲名。

5代目

[編集]

(明治36年(1882年7月18日 - 昭和55年(1980年2月11日)本名は高田峰雄。

父は3代目大隅太夫の相三味線を務めた3代目鶴澤團平。兵庫県神戸市の生まれ、1930年に4代目大隅太夫に入門し若太夫。1950年に2代目竹本静太夫1960年に5代目大隅太夫を襲名。