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竹屋津根子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たけや つねこ

竹屋 津根子
生誕 竹屋 津根子
(1872-05-09) 1872年5月9日
日本の旗 日本
死没 (1963-03-20) 1963年3月20日(90歳没)
静岡県
墓地 多磨霊園
職業 皇太后宮職典侍
家族 竹屋光昭(父)
南光利(兄)
竹屋志計子(妹)
西大路吉光(弟)
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竹屋 津根子(たけや つねこ、1872年5月9日明治5年4月3日[1][注釈 1])- 1963年昭和38年)3月20日[1][2])は、貞明皇后典侍楊梅典侍とも呼ばれる。位階および勲等従三位勲二等。父は竹屋光昭子爵。妹は香淳皇后女官長を務めた竹屋志計子

生涯

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山城国京都雅楽部長・竹屋光昭の娘として生まれる。また兄弟に南光利西大路吉光がいる[3]

1882年明治15年)に宮内省に入り、御用掛として英照皇太后に仕え、1926年大正15年)に典侍となり、貞明皇后に1948年昭和23年)まで仕えた[2][4]

1963年3月20日、静岡県の自宅で死去[2]。墓所は東京都多磨霊園[5]戒名は壽量院殿。

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本女性人名辞典〔普及版〕』659頁では明治7年ごろ。

出典

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  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 下巻』42頁。
  2. ^ a b c 『日本女性人名辞典〔普及版〕』659頁。
  3. ^ 名家 (竹屋)”. 公卿類別譜. 2022年1月11日閲覧。
  4. ^ 竹屋津根子”. 歴史が眠る多磨霊園. 2022年1月11日閲覧。
  5. ^ 竹屋津根子”. www6.plala.or.jp. 2024年11月27日閲覧。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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