竹屋津根子
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たけや つねこ 竹屋 津根子 | |
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生誕 |
竹屋 津根子 1872年5月9日 日本 |
死没 |
1963年3月20日(90歳没) 静岡県 |
墓地 | 多磨霊園 |
職業 | 皇太后宮職典侍 |
家族 |
竹屋光昭(父) 南光利(兄) 竹屋志計子(妹) 西大路吉光(弟) |
竹屋 津根子(たけや つねこ、1872年5月9日(明治5年4月3日[1][注釈 1])- 1963年(昭和38年)3月20日[1][2])は、貞明皇后の典侍。楊梅典侍とも呼ばれる。位階および勲等は従三位・勲二等。父は竹屋光昭子爵。妹は香淳皇后の女官長を務めた竹屋志計子。
生涯
[編集]山城国京都で雅楽部長・竹屋光昭の娘として生まれる。また兄弟に南光利・西大路吉光がいる[3]。
1882年(明治15年)に宮内省に入り、御用掛として英照皇太后に仕え、1926年(大正15年)に典侍となり、貞明皇后に1948年(昭和23年)まで仕えた[2][4]。
1963年3月20日、静岡県の自宅で死去[2]。墓所は東京都の多磨霊園[5]。戒名は壽量院殿。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本女性人名辞典〔普及版〕』659頁では明治7年ごろ。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 『日本女性人名辞典〔普及版〕』日本図書センター、1998年。