竹原常太
人物情報 | |
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生誕 |
1879年(明治12年)9月2日 岡山県御野郡泉田村(岡山市南区泉田一丁目) |
死没 |
1947年(昭和22年)6月29日 肺炎 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 乾行義塾、ミルトン・アカデミー、グリヤー・カレッジ、レイクフォレスト大学、ミシガン州立大学、ニューヨーク大学 |
配偶者 | 小池実恵 |
両親 | 竹原九平次、比佐 |
子供 | 小池和、原口英 |
学問 | |
研究分野 | 英語学 |
研究機関 | 神戸商業大学、神戸高等工業学校 |
主な指導学生 | 藤井茂 |
学位 | Doctor of Philosophy(ニューヨーク大学) |
称号 | 正四位勲三等 |
主な業績 | 基本語彙表の道入 |
主要な作品 | 『スタンダード和英大辞典』、The Standard English Readers |
影響を受けた人物 | エドワード・ソーンダイク |
竹原 常太(たけはら つねた、1879年〈明治12年〉9月2日 - 1947年〈昭和22年〉6月29日)は戦前日本の英語学者。岡山県出身。アメリカ合衆国で博士号を取得後、神戸商業大学、神戸高等工業学校教授。例文に生の英文を引用した『スタンダード和英大辞典』や、エドワード・ソーンダイクの基本語彙表に基づく英語教材を手がけた。
経歴
[編集]1879年(明治12年)9月2日岡山県御野郡泉田村(岡山市泉田180番地[1]、南区泉田一丁目16番7号[2])に銀行家竹原九平次の長男として生まれた[3]。間もなく母比佐が死去して父の実家に預けられ、再婚後父と同居した[3]。地元の小学校、中学校を経て、1896年(明治29年)父の死後、その遺産を元に単身上京した[3]。
1898年(明治31年)神戸市乾行義塾普通科第4学年を卒業し[3]、ヱ・カメロン商会に入社し、和文英訳に従事したが、尽く支配人の訂正を受けたため、生の英語を学ぶため[4]、1899年(明治32年)アメリカ合衆国に留学し、1902年(明治35年)ウィスコンシン州ミルトン・アカデミー、1904年(明治37年)イリノイ州グリヤー・カレッジ師範科を卒業し、1905年(明治38年)帰国した[1]。
1906年(明治39年)1月から1910年(明治43年)9月まで正則中学校英語科、1907年(明治40年)から1909年(明治42年)まで日本中学校英語科、1907年(明治40年)から1910年(明治43年)まで第1師団将校外国語講習所英語部で教えた[5]。
1910年(明治43年)再び渡米し、1912年(大正元年)イリノイ州レイクフォレスト大学英文科でBachelor of Arts、1913年(大正2年)ミシガン州立大学大学院英文科でMaster of Arts、1915年(大正4年)ニューヨーク大学大学院英文科でDoctor of Philosophyを取得し、1916年(大正5年)帰国した[1]。
1917年(大正6年)春山口造酒の推薦で神戸高等商業学校講師となり、1918年(大正7年)春教授に進んだ[6]。1929年(昭和4年)神戸商業大学に昇格後も勤続し、1931年(昭和6年)神戸高等工業学校教授を兼任した[1]。
1940年(昭和15年)3月退官し[7]、四国の長女宅に疎開した[8]。1940年(昭和15年)正四位勲三等[1]。1945年(昭和20年)冬疎開先に帰航する途中、機銃掃射に足止めされて肺炎を患い、1947年(昭和22年)6月29日死去した[8]。
著書
[編集]- 1906年 『英語慣用句詳解』
- 1924年 『スタンダード和英大辞典』
- 1929年 『スタンダード英和辞典』
- エドワード・ソーンダイク著The Teacher's Word Book[12]、アーネスト・ホーン著A Basic Writing Vocabulary[13]に基づき単語の頻度数を明記する[14]。
- 1930年 『語学教育の合理化』
- 1932年 The Standard English Readers
- 1932年 『学習教材の合理化 附スタンダードリーダー編纂趣意』
- 1933年 『中等学校英語教材の合理化 附スタンダードリーダー編纂趣意』
- 1934年 『ソーンダイク基本英語単語』
- 1934年 The Girls’ Standard English Readers
- 1934年 『高等女学校英語教材の合理化 附ガールズスタンダードリーダー編纂趣意』
- 1936年 『ソーンダイク基本構文 新英文解釈法』
- ソーンダイク著An Inventory of English Constructionsを日本人向けに増補改訂したもの[17]。
- 1936年 『中等学校英語教材の科学的編纂法』
- 1937年 The New Standard Readers
- 1946年 『スタンダード和英辞典』
- 『聖書と文学 ―イディオム・句動詞用例集―』
人物
[編集]博士論文を「近松とシェークスピアの比較」とするなど[1]、和洋の舞台芸術に造詣が深く、神戸高商語学部(ESS)でも語学劇を指導した[20]。
留学中キリスト教の洗礼を受け、熱心に活動したが、晩年は仏教にも関心を見せた[21]。
家族
[編集]- 父:竹原九平次
- 母:比佐
- 姉2人[3]
- 妻:実恵(実枝、じつえ)
- 1886年(明治19年)11月生。愛媛県小池武八三女[7]。同志社大学女子専門学校を卒業後、アイオワ大学で1910年(明治43年)Bachelor of Arts、1912年(大正元年)Master of Arts[22]、ウェルズリー大学で外国人初の学位を取得後[23]、日本女子大学で英語を教えた[22]。1916年(大正6年)12月結婚した[24]。
- 長女:小池和
- 次女:原口英
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 略歴 1983.
- ^ “旧新対照表(住宅・事業所)”. 第18回住居表示整備事業(平成20年9月22日実施). 岡山市. 2017年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e 堤 1999, p. 122.
- ^ 堤 2001, pp. 70, 80.
- ^ 堤 1999, p. 131.
- ^ 堤 2001, p. 77.
- ^ a b c 内尾 1941, pp. タ197-198.
- ^ a b 堤 1999, p. 129.
- ^ 堤 2001, pp. 70–77.
- ^ 堤 2001, pp. 77–78.
- ^ 堤 1999, pp. 126–127.
- ^ The Teacher's Word Book - インターネット・アーカイブ
- ^ A Basic Writing Vocabulary: 10,000 Words Most Commonly Used in Writing
- ^ 土肥 2017, pp. 141–151.
- ^ 馬本 2005, p. 111.
- ^ 馬本 2005, pp. 126–127.
- ^ 江利川春雄 (2010年1月15日). “懐かしの英語参考書(11)竹原常太『新英文解釈法』”. 和歌山大学江利川研究室. 2017年11月11日閲覧。
- ^ 堤 2012, p. 107.
- ^ 堤 2012, pp. 103, 117.
- ^ 藤井 1983, p. 1714.
- ^ 堤 2012, pp. 115–116.
- ^ a b 堤 1999, p. 123.
- ^ “Jitsuye Koike (1912)”. Japanese Alumnae Digital Museum. Wellesley College. 2017年11月17日閲覧。
- ^ 堤 2012, p. 102.
- ^ 堤 2012, pp. 102–103.
- ^ 武内 1948, p. 831.
参考文献
[編集]- 藤井茂「竹原常太先生と『スタンダード和英大辞典』」『竹原和英大辞典』名著普及会、1983年10月。
- 小池和「父のこと」『竹原和英大辞典』名著普及会、1983年10月。
- 「略歴」『竹原和英大辞典』名著普及会、1983年10月。
- 堤美佐子「『スタンダード和英大辞典』編者竹原常太」『日本英語教育史研究』第14巻、日本英語教育史学会、1999年、121-139頁、doi:10.11222/hisetjournal1986.14.0_121、ISSN 0916-006X、NAID 130001930056。
- 堤美佐子「幻の三省堂和英大辞典-神田から竹原へのある書簡をめぐって-」『日本英語教育史研究』第16巻、日本英語教育史学会、2001年、69-84頁、doi:10.11222/hisetjournal1986.16.0_69、ISSN 0916-006X、NAID 130001929974。
- 馬本勉「竹原常太のThe Standard English Readers ―基本語彙に基づく教材の合理化とその現代的な意義をめぐって―」『日本英語教育史研究』第20巻、日本英語教育史学会、2005年、NAID 130001929685。
- 堤美佐子「未完に終わった竹原常太『聖書と文学 ―イディオム・句動詞用例集―』」『日本英語教育史研究』第27号、日本英語教育史学会、2012年。
- 土肥一夫「英和辞典の頻度に関する記述:20世紀前期」『東京都市大学共通教育部紀要』第10号、東京都市大学共通教育部、2017年。
- 内尾直二『人事興信録』 下巻(第13版)、人事興信所、1941年。NDLJP:1070514/147
- 武内甲子雄『人事興信録』 下巻(第15版)、人事興信所、1948年。NDLJP:1123783/136