空挺普通科群
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空挺普通科群 | |
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創設 | 1958年(昭和33年)6月25日 |
廃止 | 2004年(平成16年)3月28日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 群 |
兵科 | 普通科 |
兵種/任務 | 空挺 |
人員 | 約1,000名 |
所在地 | 千葉県 船橋市 |
編成地 | 習志野 |
最終上級単位 | 第1空挺団 |
担当地域 | 日本全国 |
空挺普通科群(くうていふつうかぐん、JGSDF Airborne Infantry Group)は、千葉県船橋市の習志野駐屯地に駐屯していた第1空挺団隷下の普通科部隊。2004年(平成16年)3月28日、3個普通科大隊に改編され、廃止された。
概要
[編集]第1空挺団の主幹部隊として数多くの災害派遣参加実績を持っていた。空挺普通科群長は、1等陸佐が充てられ、群本部、群本部中隊、4個普通科中隊により編成されていた。平成期に入って様々な事件、事案があったが平成15年度末の空挺団部隊改編に伴い廃止され、46年の歴史に幕を閉じた。
沿革
[編集]- 1958年(昭和33年)6月25日:第1空挺団編成完結に伴い、第1空挺団普通科群が習志野駐屯地に新編。
- 1960年(昭和35年)4月1日:M24軽戦車5両からなる「第1空挺団普通科群本部情報小隊特車班」が編成[1]。
- 1962年(昭和37年)1月18日:情報小隊特車班が「第1空挺団普通科群本部中隊空挺戦車小隊」に改称[1]。
- 1973年(昭和48年)3月8日:空挺戦車小隊が60式装甲車5両からなる「第1空挺団普通科群本部直轄空挺装甲輸送隊」に改編[1]。
- 1985年(昭和60年)8月:日本航空123便墜落事故発生により、災害派遣出動。
- 1987年(昭和62年)3月26日:第4普通科中隊が新編。
- 1995年(平成 7年)1月:兵庫県南部地震発生により、災害派遣出動。
- 2004年(平成16年)3月28日:3個普通科大隊に改編され、廃止。
廃止時の編成
[編集]- 普通科群本部
- 普通科群本部中隊
- 第1普通科中隊
- 第2普通科中隊
- 第3普通科中隊
- 第4普通科中隊
歴代の第1空挺団普通科群長
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 倉重翼 | 1958年 | 6月25日 - 1960年 7月31日→1959年8月1日 1等陸佐昇任 |
陸上幕僚監部付 |
2 | 田中賢一 | 1960年 | 8月 1日 - 1964年 3月15日→1964年1月1日 1等陸佐昇任 |
第3戦車大隊長 兼 今津駐とん地司令 |
3 | 那須明 | 1964年 | 3月16日 - 1966年 3月15日第7師団司令部第1部長 →1966年1月1日 1等陸佐昇任 |
陸上幕僚監部第5部普通科班長 |
4 | 早川一喜 | 1966年 | 3月16日 - 1967年 7月16日陸上幕僚監部第2部勤務 →1966年7月1日 1等陸佐昇任 |
陸上自衛隊調査学校語学教育課長 |
5 | 田茂佐一 | 1967年 | 7月17日 - 1970年 3月15日第12師団司令部第3部長 | 空挺教育隊長 |
6 | 小林正信 | 1970年 | 3月16日 - 1972年 3月15日陸上自衛隊幹部学校付 | 陸上幕僚監部第5部訓練演習班長 |
7 | 柏木明 | 1972年 | 3月16日 - 1973年 7月15日陸上幕僚監部第2部勤務 | 東北方面総監部第1部長 |
8 | 米正七 | 1973年 | 7月16日 - 1975年 7月15日陸上幕僚監部付 | 西部方面総監部第2部長 |
9 | 若月勲 | 1975年 | 7月16日 - 1977年 3月15日帯広駐とん地業務隊長 | 第1混成団本部高級幕僚 |
10 | 水野智之 | 1977年 | 3月16日 - 1978年 7月31日第1空挺団本部付 | 陸上幕僚監部人事部補任課勤務 |
11 | 小林英雄 | 1978年 | 8月 1日 - 1980年 7月31日陸上幕僚監部調査部調査第2課 調査別室第3科長 |
統合幕僚会議事務局第2幕僚室勤務 |
12 | 南雲満雄 | 1980年 | 8月 1日 - 1983年 7月31日陸上自衛隊調査学校勤務 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
13 | 菅原素生 | 1983年 | 8月 1日 - 1985年 8月 7日第1空挺団本部勤務 | 東北方面調査隊長 |
14 | 重高昭教 | 1985年 | 8月 8日 - 1987年 7月31日第1空挺団本部勤務 | 空挺教育隊長 |
15 | 沼生淑康 | 1987年 | 8月 1日 - 1990年 3月15日陸上幕僚監部調査部付 | 自衛隊香川地方連絡部長 |
16 | 高橋佳嗣 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 3月15日西部方面総監部防衛部訓練課長 | 自衛隊富山地方連絡部長 |
17 | 村田拓生 | 1992年 | 3月16日 - 1993年11月30日陸上幕僚監部調査部勤務 | 北部方面総監部調査部長 |
18 | 秀島裕展 | 1993年12月 | 1日 - 1995年 3月22日第6師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
19 | 越村正朔 | 1995年 | 3月23日 - 1997年 7月31日陸上幕僚監部付 | 陸上自衛隊富士学校企画室長 |
20 | 坂田善穗 | 1997年 | 8月 1日 - 2000年 3月31日北部方面総監部防衛部訓練課長 | 自衛隊鳥取地方連絡部長 |
21 | 阪谷泰久 | 2000年 | 4月 1日 - 2002年 3月21日北部方面総監部調査部調査課長 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
末 | 野田一巳 | 2002年 | 3月22日 - 2004年 3月28日東部方面総監部防衛部訓練課長 | 部隊訓練評価隊長 |
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 東富士演習場違法射撃事件
- 第1普通科大隊・第2普通科大隊・第3普通科大隊(空挺普群の後身)