穏治村
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おんじそん 穏治村 | |
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廃止日 | 1914年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 明治村(初代)、穏治村 → 明治村 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 気高郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
882人 ([1]、1907年) |
隣接自治体 | 明治村(初代)、豊実村、松保村、吉岡村、福富村 |
穏治村役場 | |
所在地 |
鳥取県気高郡穏治村大字上原村 (明治村穏治村組合役場) |
座標 | 北緯35度28分04秒 東経134度09分02秒 / 北緯35.467764度 東経134.150694度座標: 北緯35度28分04秒 東経134度09分02秒 / 北緯35.467764度 東経134.150694度 |
特記事項 | 座標は現在の上原公民館の位置 |
ウィキプロジェクト |
穏治村(おんじそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは高草郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市上段・尾崎・上原・細見に相当し、千代川支流野坂川の中流域に位置した。なお上段の全域および尾崎・上原の各一部(大部分)は世紀小学校区、尾崎・上原の各一部(開拓地区)および細見の全域は明治小学校区となる。
村名は穏やかに治まるの意から命名されたとされる[1]。
地区の中心は上原(うえばら)で、町村制施行前は計13ヶ村を管轄する連合戸長役場が置かれ、また穏治村発足後も役場や小学校が置かれていた。
沿革
[編集]- 1883年(明治16年)4月 - 連合戸長役場を上原村に設置。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、上段村・尾崎村・上原村・細見村が合併して村制施行し、穏治村が発足。旧村名を継承した4大字を編成。明治村(初代)との組合役場を大字上原村に設置[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡穏治村となる。
- 1914年(大正3年)2月1日 - 明治村(初代)と合併し、改めて明治村が発足。同日穏治村廃止[2]。
行政
[編集]戸長
[編集]- 高草郡上原村外12ヶ村連合戸長役場:伊奈正之 - 吉田弥平
- 管轄区域:上原村・細見村・尾崎村・上段村(後の穏治村)、松上村・槇原村・河内村(後の明治村)、下段村・大塚村・野坂村・大桷村・島村・宮谷村(後の豊実村)[3]
歴代村長
[編集]- (明治村穏治村組合村長)加藤直七 - 伊奈正文 - 沢根常二郎 - 藤岡豊蔵 - 伊奈正文(再) - 竹内熊太郎 - 山根力蔵 - 加藤賢蔵 - 藤岡豊蔵(合併後引き続き明治村長に就任)[2]