稲石三二
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2015年7月) |
稲石 三二(いないし みつじ、1930年2月10日 - 2008年4月8日)は、日本の体育科教員、ハンドボール指導者。
愛知県豊橋市に生まれ、日本体育専門学校(現日本体育大学)を卒業。1950年から名古屋市立桜台高等学校教諭および同校ハンドボール部監督を務め、全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会(インターハイ)に5連覇を含む9回優勝、国民体育大会で3連覇2度を含む9回優勝[1]など、数多くの実績を残し選手を育てた[2][3]。
高校教諭退職後、名古屋文理短期大学、名古屋文理大学の教員として体育学の研究[4][5]およびハンドボール部指導[6]を行った。
現在にいたるまで、愛知県がハンドボール王国と言われるほどハンドボールが盛んな理由は、稲石による普及活動に加え、稲石の教え子たちが後に高校教諭等になってハンドボール指導にあたったためである [7] [8] [9] 。
テレビ番組での紹介
[編集]名古屋テレビ放送(メ〜テレ)の番組『名古屋ほじくりバラエティ「ザキロバケイコ」』2015年6月27日放送(東海地方ローカル)の「東海3県のデータをほじくろう」のコーナーにて、稲石の功績を紹介するクイズが出題された。解説VTRでは、現在の桜台高校ハンドボール部の様子に加えて、稲石の若き日と後年の写真を交えて稲石ハンドボール指導の影響が紹介された。
脚注
[編集]- ^ 全国制覇18回(インターハイ9回・国体9回)という輝かしい業績を残された名監督稲石三二先生(現・名古屋文理大監督 - OB登場!!淺野克彦さん、「ハンドボール」第409号、8-9頁、(財)日本ハンドボール協会編(2000.7)
- ^ 妥協排し“陽の当たる道”指導手腕に定評の稲石三二氏、スポーツイベント・ハンドボール第 8 号、1978年2月10日発行
- ^ 歴史 - 名古屋市立桜台高等学校ハンドボール部
- ^ 稲石三二:膝傷害の実態と予防、「月刊スポーツイベント」18(7)、74-75頁(1996)
- ^ 国友宏渉, 稲石三二:市町村のスポーツ振興に関する一考察、「名古屋文理短期大学紀要」18, 115-123頁,(1993)
- ^ ハンドボール部を東海一部リーグに定着させた稲石三二助教授,「しとねる教育 名古屋文理大学60年の軌跡」(学校法人滝川学園、2016年11月刊),p.200,写真。
- ^ どちらかといえば,ハンドボールはややマイナーなスポーツではあるが、実は全国でも愛知県が最も盛ん。ハンドボール王国愛知とも言われている。その基礎を築いたのは、名古屋市立桜台高校教諭の故稲石三二さん。―横井利明オフィシャルブログ「オアシス21でハンドボール大会??コアラカップ大会」(2009.3.28)
- ^ 6月27日の放送 -メ〜テレ『名古屋ほじくりバラエティ「ザキロバケイコ」
- ^ 「中高生ハンドボール部員数 愛知県、圧倒的な首位」日本経済新聞、2019年8月19日