稲垣監物
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 1753年10月5日(宝暦3年9月9日) |
主君 | 蜂須賀宗英→蜂須賀宗鎮 |
藩 | 阿波徳島藩 |
稲垣 監物(いながき けんもつ)は、江戸時代の武士。徳島藩士。阿波国出身。
生涯
[編集]阿波国麻植郡牛島村出身[1]。牛島郷(現在の徳島県吉野川市鴨島町牛島)に配属され、地域の農民の苦境を救うために築堤の許可を奉行に願い出たが、麻植塚に害を及ぼすとの理由で許可が降りなかった[2]。
1753年(宝暦3年)9月8日の夜に監物は奉行所の許可なく独断で桑上の農民を集めて堤防工事を完成させ、翌日の9月9日に切腹。監物が築いたこの堤防は監物堤と呼ばれ、吉野川の氾濫水を飯尾川へ放流する役目を果たした[2]。
監物の死後、堤防の神様としてかつての監物の家の庭に祠を建立し稲垣神社が創建され、境内には稲垣監物碑が建立されている[2]。