稲垣定成
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稲垣 定成(いながき さだなり、天明4年12月29日(1785年2月8日)- 天保14年5月3日(1843年5月31日))は、近江山上藩の第6代藩主。
第5代藩主稲垣定淳の長男。母は小出英常の娘。正室は秋月種徳の娘。子は稲垣太篤(長男)、稲垣成方(近藤政賢養子、離縁)。なお、成方の子は上杉義順(高家旗本上杉義為養子)。通称は熊次郎、藤五郎。官位は従五位下、備後守、長門守。
文化5年(1808年)12月11日、従五位下備後守に叙任する。後に長門守に改める。文政6年(1823年)9月5日、父定淳の隠居により、藩主となる。天保5年(1834年)10月10日、長男の太篤に家督を譲って隠居し、天保14年(1843年)に60歳で死去した。
系譜
[編集]父母
正室
- 秋月種徳の娘
子女
脚注
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