秋田丸 (初代)
秋田丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨物船 |
クラス | 秋田丸型貨物船 |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 | 日本郵船 |
運用者 |
日本郵船 大日本帝国陸軍 |
建造所 | 三菱重工業長崎造船所 |
母港 | 東京港/東京都 |
姉妹船 |
山形丸、長野丸、臺海丸他2隻[1] 準姉妹船:サマラン丸、マカッサ丸、チェリボン丸 |
信号符字 | NCHD→JCBD[2] |
IMO番号 | 18487(※船舶番号)[2] |
経歴 | |
起工 | 1915年6月10日 |
進水 | 1916年3月20日 |
竣工 |
1916年5月10日 1916年5月12日 |
就航 | 1916年8月16日 |
最後 | 1942年1月10日被雷沈没 |
要目 | |
総トン数 |
3,792.0トン[3] 3,817トン[4] |
純トン数 | 2,315.0トン[3] |
載貨重量 | 6,329トン[3] |
排水量 | 8,883.0トン(満載)[3] |
垂線間長 | 105.16m[3] |
型幅 | 15.24m[3] |
型深さ | 8.87m[3] |
高さ |
22.25m(水面からマスト最上端まで) 8.83m(水面から煙突最上端まで) |
ボイラー | 石炭専燃缶 |
主機関 | 三連成レシプロ機関 1基[3] |
推進器 | 1軸 |
最大出力 | 2,899IHP(連続)[3][2] |
最大速力 | 13.969ノット(試運転)[3] |
航海速力 | 12.0ノット(満載)[3] |
航続距離 | 約11,000海里 |
高さは米海軍識別表[5]より(フィート表記)。 |
船歴
[編集]大正時代、三菱重工業長崎造船所は中型の標準型貨物船の建造を計画した。これが秋田丸型貨物船で、秋田丸はその第1船として建造された[7]。同型船は山形丸、長野丸、臺海丸、富浦丸、まどらす丸。三菱重工業神戸造船所が建造したサマラン丸型貨客船は準姉妹船[8]。
秋田丸は1915年(大正4年)6月10日に起工し[9]、1916年(大正5年)3月20日に進水[9]。同年5月10日引き渡し[9]。または5月12日竣工[4]。
8月16日、ニュージーランド線第一船として神戸より出航[10]。
1917年(大正7年)12月28日、南洋線第一船として横浜より出航[11]。
1918年(大正8年)3月10日、日本・ジャワ・カルカッタ線の第一船古倫母丸が出航したが、同船は火災を起こして全損となった[12]。そのため秋田丸が同航路用に転用され、4月28日に神戸より出航した[13]。
6月29日、カルカッタ・ニューヨーク線第一船としてカルカッタより出航[12]。
済南事件において、秋田丸は1928年(昭和3年)5月26日に徴傭され、8月3日に解傭されるまでの間に人員1975人、馬434頭を輸送した[14]。
1937年(昭和12年)3月15日、マドラス線第一船として横浜より出航[16]。
1941年(昭和16年)7月7日、秋田丸は陸軍に徴傭され[17]、仏印方面で輸送任務に従事した[18]。
太平洋戦争開戦後は第二十五軍の第二陣の輸送に従事する[18]。秋田丸は宇品で兵員600名を乗せ、サイゴンまで運んだ[18]。また橋梁用の木材も積んでおり、サイゴンで橋梁の組み立てにあたる兵16名を乗せ、1942年(昭和17年)1月9日に出港して他の船1隻とともにシンゴラへ向かった[18]。護衛はついていなかった[18]。10日午後5時21分頃、秋田丸は北緯07度52分 東経102度53分 / 北緯7.867度 東経102.883度のシンゴラ東北東245km地点付近で左舷機関室に被雷した[19]。兵全員と乗員は退船しボートに移ったが、秋田丸の沈下がいったん止まったため、乗員は船に戻って行方不明者3名の捜索や食料の確保を行った[20]。しかし、行方不明者は見つからなかった[21]。その後秋田丸は午後6時頃に全没。乗員はボートで漂流し、翌日駆逐艦吹雪に救助された[21]。吹雪の艦長は潜水艦らしきものを見たがそれは秋田丸の一部かもしれないと言い、砲撃で処分しようと捜索したが発見できなかった[21]。秋田丸乗員は3名が戦死した[22]。秋田丸を雷撃したのはオランダ潜水艦O19であった[23]。
脚注
[編集]- ^ 『商船建造の歩み』51ページ
- ^ a b c “秋田丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年8月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 山田早苗「日本商船隊の懐古No.19」29ページ
- ^ a b 『日本郵船戦時船史 上』23ページ
- ^ Akita_Maru_class
- ^ 山田早苗「日本商船隊の懐古No.19」29ページ。『日本郵船戦時船史 上』23ページ
- ^ “秋田丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年8月24日閲覧。
- ^ “サマラン丸型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年8月24日閲覧。
- ^ a b c 『商船建造の歩み』177ページ
- ^ 『七十年史』133ページ
- ^ 『七十年史』137ページ
- ^ a b 『七十年史』134ページ
- ^ 『我社各航路ノ沿革』260ページ
- ^ 『日本郵船株式會社五十年史』329ページ
- ^ 『日本郵船株式會社五十年史』455ページ
- ^ 『七十年史』219ページ
- ^ 『日本郵船戦時船史 上』24、27ページ
- ^ a b c d e 『日本郵船戦時船史 上』24ページ
- ^ 『日本郵船戦時船史 上』23-25ページ
- ^ 『日本郵船戦時船史 上』25-26ページ
- ^ a b c 『日本郵船戦時船史 上』26ページ
- ^ 『日本郵船戦時船史 上』27ページ
- ^ HNMS O 19 (N 54) of the Royal Dutch Navy - Dutch Submarine of the O 19 class - Allied Warships of WWII - uboat.net(2023年5月19日閲覧)
参考文献
[編集]- 貨物課(編)『我社各航路ノ沿革』日本郵船株式會社貨物課、1932年
- 日本郵船株式會社(編)『日本郵船株式會社五十年史』日本郵船、1935年
- 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年
- 三菱造船株式会社(編)『商船建造の歩み 1887~1958』三菱造船、1959年
- 山田早苗「日本商船隊の懐古No.62」船の科学 第37巻第9号(No.431)、28-29ページ
- 『日本郵船戦時船史 太平洋戦争下の社船挽歌 上』日本郵船、1971年