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秋保氏盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
秋保氏盛
時代 江戸時代中期
生誕 延享元年(1744年
死没 寛政11年2月28日1799年4月2日
別名 通称:平三郎、玄蕃、外記
墓所 大雲寺
主君 伊達重村斉村周宗
陸奥仙台藩
氏族 秋保氏
父母 父:秋保盛之、養父:秋保良盛
兄弟 男子3人、氏盛
大立目盛行
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秋保 氏盛(あきう うじもり)は、江戸時代中期の武士仙台藩士。秋保氏23代当主。

略歴

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延享元年(1744年)、秋保氏別家・秋保権兵衛盛之の四男として誕生。

宝暦5年(1755年)、秋保氏本家・雅楽良盛の死に伴い養子となり、御一家秋保家324石を継ぐ。同13年(1763年)より藩に出仕し始め、明和2年(1765年)に御申次兼近習、同8年(1771年)に御小姓頭、安永2年(1773年)に若年寄と順調に昇進し、同5年(1776年)には奉行職(他藩の家老相当)に任命され、500石の加増と役料2,000石を賜る。

天明元年(1781年)、知行高の内220石を本領長袋村へ知行替となり、町場を賜る。現在の秋保郷の舘集落はこの時に原形ができたという。同3年(1783年)に御国許御繰合方主宰を命じられ、天明の大飢饉の最中破綻した藩財政の立て直しを図り、同6年(1786年)その功績が認められ知行を1,000石に加増される。

寛政2年(1790年)、御一門寺池伊達家の家政監督を命じられるが、内紛に巻き込まれ退職。病気療養後再び奉行に任命されるが、寛政11年(1799年)2月28日急逝。菩提寺は領内の大雲寺。

人物は姓貞良温恭で人に接するに常に謙譲をもってし、また、威風凛々としてあたかも風が竹を偃せるが如きであったという。

氏盛の功績にあやかり、氏盛の後に秋保家を継いだ昌盛賢盛は代々「外記」を称した。

出典

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  • 秋保町 史編纂委員会『秋保町史 本編』秋保町、1976年

外部リンク

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