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秀世王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

秀世王(ひでよおう、生没年不詳)は、平安時代前期の皇族大宰帥仲野親王の子。官位従四位上美作守

経歴

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天安2年(858年清和天皇即位に伴って、二世王の蔭位により無位から従四位下に直叙される。貞観5年(863年次侍従に補せられる。貞観8年(866年大和国より楯列山陵神功皇后陵)の守たちが多数の樹木伐採しているとの言上があった。そこで神祇官卜占を行ったところ、旱魃が起こっている原因はこの伐採にあるとの結果が出た。そこで、秀世王は参議藤原良縄ともに申謝と雨乞いのために山陵に派遣された[1]

その後、時期は不明ながら従四位上に叙せられ、光孝朝初頭の元慶9年(885年美作守に任ぜられている。

官歴

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日本三代実録』による。

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観8年6月29日条

参考文献

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