福島岳
福島岳 Mount Fukushima | |
---|---|
標高 | 2,470 m |
所在地 | 南極 |
位置 | 南緯71度21分00秒 東経35度37分00秒 / 南緯71.35000度 東経35.61667度座標: 南緯71度21分00秒 東経35度37分00秒 / 南緯71.35000度 東経35.61667度 |
山系 | やまと山脈 |
初登頂 |
1960年11月20日 木崎甲子郎 深瀬一男[1][2] |
プロジェクト 山 |
福島岳(ふくしまだけ、Fukushima Dake[3][4] ; 英語: Mount Fukushima)は、南極大陸のドロンニング・モード・ランドにあるやまと山脈の最高峰[5]。標高について、日本の資料は2494m[4][6]、アメリカ合衆国ほかの資料は2470mをとっている[5]。
名称
[編集]山の名は、昭和基地付近において遭難死した日本の地球物理学者・福島紳(ふくしま しん)にちなむ[5][7]。
南極研究科学委員会(SCAR)がまとめた各国による地名呼称によれば、日本が Fukushima Dake[4]、ロシアが Fukusima dake[8]、アメリカ合衆国が Mount Fukushima[9]、ベルギーが Mont Fukushima [10]として、それぞれこの山を地図に記載している。
地理
[編集]やまと氷河 (Yamato Glacier) のすぐ北に位置する[5]。岩がちの山塊で、周辺からの比高は約1,600m。多数の不規則なピークがある[5]。
歴史
[編集]この山は1960年、ギド・デローム(Guido Derom)が率いるベルギーの観測隊によって発見された[5]。
福島紳は理化学研究所に所属する[11]オーロラの研究者で、第4次南極地域観測隊の越冬隊に参加していたが、1960年10月10日、激しいブリザードの中で遭難した[7]。折しも昭和基地に滞在していたベルギーの観測隊の隊員に行方不明者が出(のちに救出された)、その捜索のために昭和基地が手薄になっていた時の出来事であった[12]。
福島は日本の南極観測史上初の犠牲者であり、2018年現在、南極観測隊員では唯一の犠牲者である。昭和基地内の遭難地点と、西オングル島の遺体発見地には、福島をしのぶ福島ケルン(石積みの塚)が設けられ、慰霊祭が行われている[7][12]。なお南極観測隊員以外では、1974年1月に南極観測船「ふじ」乗組の[13][14][15][12][16]、また2015年(平成27年)2月3日には「しらせ」乗組の[17][18]、それぞれ海上自衛隊員1名が南極で事故死している。
福島紳の遭難直後、ベルギー隊のギド・デローム隊長は、日本の第4次南極越冬隊(鳥居鉄也隊長)に対し、「やまと山脈」(この時点ではまだ命名されておらず、後に日本側が「やまと山脈」、ベルギー側が「クイーン・ファビオラ山脈」と命名する。また、この時点ではベルギー隊が空中写真を撮影しただけで、実地調査は行われていなかった)の発見に関する優先権を主張するとともに、その最高峰を「福島岳」と命名すること、他に3つの氷河に日本名を与えることを申し入れた。日本越冬隊の鳥居隊長は、越冬隊には地名を命名する権限が無いとして申し入れ自体は受け入れなかったが、山脈の最高峰を「福島岳」と命名することについては互いに合意している[19][20]。
1960年11月20日、日本隊が実地調査を行い、木崎甲子郎(地学担当、当時北海道大学助手)と深瀬一男(食糧担当、当時文部省学術課所属)が初登頂に成功した[1][2]。
1961年2月、「福島岳」(Fukushima Dake)は、「みずほ平原」「やまと山脈」「白瀬氷河」とともに、日本の南極地域観測統合推進本部により、正式名称として決定された[21][22]。
アメリカ地質調査所(USGS)の地名情報システム(GNIS)は、Mount Fukushima という名称について、Guido Derom による命名としている[5]。
脚注
[編集]- ^ a b 木崎 1982, pp. 158–160.
- ^ a b 木崎 2012, pp. 111–115.
- ^ 国立極地研究所「南極地名委員会報告-新たに命名された地名及びこれまでに付与された地名のヘボン式によるローマ字表記-」(PDF)『南極資料』第53巻第2号、国立極地研究所、2009年、224頁、NAID 110007318464、2018年2月21日閲覧。
- ^ a b c “Fukushima Dake (JPN)”. SCAR Composite Gazetteer. Australian Antarctic Division. 2013年5月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g "Mount Fukushima". Geographic Names Information System. U.S. Geological Survey. 2013年5月2日閲覧。
- ^ “昭和基地NOW!! やまと山脈空撮オペレーション”. 国立極地研究所 (2004年11月13日). 2018年1月21日閲覧。
- ^ a b c 石際淳 (2008年11月6日). “【南極便り】慰霊祭 無念の思いを糧に”. 中日新聞. 2013年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月29日閲覧。
- ^ “Fukushima dake (RUS)”. SCAR Composite Gazetteer. Australian Antarctic Division. 2013年5月11日閲覧。
- ^ “Mount Fukushima (USA)”. SCAR Composite Gazetteer. Australian Antarctic Division. 2013年5月11日閲覧。
- ^ “Mont Fukushima (BEL)”. SCAR Composite Gazetteer. Australian Antarctic Division. 2013年5月11日閲覧。
- ^ “第4次 日本南極地域観測隊”. 南極OB会. 2013年4月29日閲覧。
- ^ a b c “昭和基地NOW!! 越冬成立式・福島ケルン慰霊祭”. 国立極地研究所 (2009年2月3日). 2018年1月21日閲覧。
- ^ “「ふじ」乗員事故死”. 読売新聞: p. 1. (1974年1月3日)
- ^ 『日本南極地域観測隊 第15次隊報告』国立極地研究所、19頁 。
- ^ 文部省 1982, p. 315.
- ^ “南極地域観測事業外部評価書 資料9 我が国における南極地域観測の歴史”. 国立極地研究所. 2018年1月21日閲覧。出典中、1973年とあるのは1974年の誤りである。
- ^ “南極観測、大陸で初の死者 しらせ乗員、作業中に倒れ”. 産経ニュース (2015年2月6日). 2021年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月20日閲覧。
- ^ 第56次南極地域観測隊 編『日本南極地域観測隊 第56次隊報告』大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所、2016年11月、1, 35頁 。
- ^ 木崎 1982, p. 152.
- ^ 木崎 2012, pp. 98–100.
- ^ 文部省 1982, p. 488.
- ^ “南極観測の歴史”. 稚内市青少年科学館. 2013年4月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 木崎甲子郎『南極航海記』築地書館、1982年12月1日。
- 木崎甲子郎『極限の雪原を越えて――わが南極遊記』成山堂書店、2012年12月18日。ISBN 978-4-425-57061-4。
- 文部省『南極観測二十五年史』大蔵省印刷局、1982年1月20日。
外部リンク
[編集]- 昭和基地NOW!! やまと山脈空撮オペレーション(国立極地研究所) - 福島岳の写真がある。