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福地銭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福地銭吉
ふくち せんきち
生年月日 1868年11月25日
出生地 日本の旗 日本 伊賀国阿拝郡上柘植村
(現三重県伊賀市)
没年月日 (1921-04-04) 1921年4月4日(52歳没)
出身校 第三高等学校
(現京都大学)
所属政党 立憲国民党

選挙区 三重県第10選挙区
当選回数 1回
在任期間 1920年5月 - 1921年4月4日

在任期間 1911年 - 1920年

阿山郡会議員

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福地 銭吉(錢吉、ふくち せんきち、1868年11月25日(明治元年10月12日[1])- 1921年大正10年)4月4日[2][3][4])は、明治から大正期の農業経営者・実業家政治家衆議院議員三重県阿山郡東柘植村長。

経歴

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伊賀国阿拝郡上柘植村(三重県[2]阿山郡東柘植村[4]上柘植[1]柘植町伊賀町を経て現伊賀市)で、福地次郎の長男として生まれる[5]第三高等学校で学んだ[2][4][5][注釈 1]。農業を営む[2]

伊賀筵叺同業組合長、阿山郡連合産業組合理事、東柘植村産業組合長、第八十三銀行取締役、東海製糸監査役などを務めた[1][2][3][4][5]

政界では、東柘植村長、阿山郡会議員、三重県会議員(1911年-1920年)などに在任し[1][2][3][4][5]学務委員、所得税調査委員なども務めた[1]。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に三重県第10区から立憲国民党公認で出馬し、川崎克との激しい選挙戦を制して当選したが[2][3][4][6]、議員在任中の1921年4月に死去した[3][7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』107頁では卒業。

出典

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  1. ^ a b c d e 『三重県紳士録 前編』353-354頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』550頁。
  3. ^ a b c d e 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』104、107頁。
  4. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』388頁。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第6版』ふ54頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』13頁。
  7. ^ 『官報』第2603号、大正10年4月8日。

参考文献

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  • 服部英雄編『三重県紳士録 前編』三重県紳士録編纂会、1916年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。