福原康太
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名前 | ||||||
カタカナ | フクハラ コウタ | |||||
ラテン文字 | FUKUHARA Kohta | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年3月23日(41歳) | |||||
出身地 | 福岡県北九州市八幡西区 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
アトラス | ||||||
デッツォーラ島根E.C | ||||||
2008-2014 | レノファ山口FC | |||||
2014 | →FCバレイン下関(loan) | |||||
2015-2016 | FCバレイン下関 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
福原 康太(ふくはら こうた、1983年3月23日 - )は、福岡県 北九州市八幡西区出身の元サッカー選手。中国サッカーリーグFCバレイン下関代表。現役時代のポジションは、フォワード(FW)。レノファ山口FC在籍時の活躍から「ミスターレノファ」[1]と呼ばれている。
来歴
[編集]高校時代は、宗像市の東海大学付属第五高等学校(現・東海大学付属福岡高等学校)で全国高等学校総合体育大会に2回出場。
高校卒業時に、大宮アルディージャの練習生[2]になるも結果が出せず、アトラス(アルゼンチン)→FCセントラル中国(デッツォーラ島根E.C)を経て2008年からレノファ山口FCに加入。レノファ山口の日本フットボールリーグ(JFL)昇格に貢献した。
2014年シーズン途中にFCバレイン下関に期限付き移籍[3]。2015年からはFCバレイン下関に完全移籍[4]。2017年には監督兼GMとなり、県リーグ1部で3年連続優勝。中国地域県リーグ決勝大会を勝ち抜いての、2019年からの中国サッカーリーグ昇格に貢献した。2019年から監督を勇退し代表に就任。2020年はGM兼監督にも復帰し、山口県サッカー選手権大会初優勝を果たし下関市のチームでは東亜大学が出場した1996年以来でチーム念願の天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会出場へ導く[5]。2021年は全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021出場を果たすも予選敗退。
2022年からは監督に横浜FCシーガルズからサンフレッチェ広島F.Cや横浜FCで活躍した八田康介氏を招聘し、代表職に専念する。
エピソード
[編集]レノファ山口がJ3に昇格した2015年シーズン、当時の石原正康GMやサポーターにとって「10番といえば福原」だったために他に10番を付ける選手は無く空席の1年となった[6]。
出典
[編集]- ^ “「ミスターレノファ」と呼ばれた男の物語 福原康太(FCバレイン下関)インタビュー #renofa”. 宇都宮徹壱ウェブマガジン. 2022年6月23日閲覧。
- ^ “ひと人:FCバレイン下関代表兼監督 福原康太さん(37) 経験と情熱全て注ぎ込む /山口”. 毎日新聞. 2022年6月23日閲覧。
- ^ “福原 康太選手 FCバレイン下関へ期限付き移籍のお知らせ”. レノファ山口. 2022年6月23日閲覧。
- ^ “山口MF福原がFCバレイン下関へ移籍 (2015年2月2日)”. ゲキサカ. 2022年11月1日閲覧。
- ^ 市報しものせき2020年12月号28・29頁下関市
- ^ “10番を背負い“庄司時代”を切り開く 山口の背番号にまつわるストーリー (2016年2月28日)”. スポーツナビ. 2022年11月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- 福原康太 (@Ko10Ta26) - X(旧Twitter)