祭原彌三郎
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祭原 彌三郎(祭原 弥三郎、さいはら やさぶろう、旧姓・山本、1880年(明治13年)7月[1] - 没年不明)は、日本の実業家。祭原商店相談役[2][3]。台湾鳳梨栽培取締役[4]。東洋製罐監査役[4]。
人物
[編集]京都府・山本彌太郎の長男[1][2]。1906年、先代かめの入夫となり家督を相続する[1]。祭原商店相談役で、台湾鳳梨栽培、東洋製罐各会社重役を兼ねる[2]。趣味は謡曲、登山[1][2]。宗教は真宗[1][2]。住所は大阪市天王寺区堂ケ芝町[1][2][3]。
家族・親族
[編集]- 祭原家
- 妻・かめ(1885年 - ?、大阪、洋酒缶詰商・祭原伊太郎の三女[5]、祭原邦太郎の姉[1][2])
- 長男・光太郎[2][6](1907年 - ?、立命館大学教授)
- 養子・直彦(1904年 - ?、大阪市主事、産業部庶務課長)[3]
- 長女[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第12版 上』サ69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 上』サ63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月15日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』大阪108頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月15日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第33版』大阪サの部141頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月15日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第6版』さ40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月15日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第24版 上』さ95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月3日閲覧。