神谷正羽
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神谷 正羽(かみや まさのぶ、万治3年(1660年) - 延享2年7月3日(1745年7月31日))は、江戸時代の武士、旗本。通称は源三郎、又五郎。父は神谷正清、母は稲富直賢の娘。妻は松平出羽守の家臣小川市郎衛門の娘。兄弟に正成、大久保是正室。子に、正常、服部保和(服部保慶の養子)、加藤秀邦(加藤茂雅の養子)、神谷保祖(神谷保包の養子)、智成(浅草蓮光寺住職)、娘(門奈富郷室)、養女(山角勝廣室)がいる。
生涯
[編集]延宝5年(1677年)遺跡を継ぎ、元禄13年(1700年)大番となる。宝永5年(1708年)組頭となるが、享保4年(1719年)勤務不行状につき、小普請入りとなった。知行も減額され、武蔵国の荏原郡・豊島郡・都筑郡・多摩郡の4郡のうち380石余となる。延享2年(1745年)7月3日死去。享年86。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜. 第6輯』、國民圖書、1923年、450頁。国立国会図書館デジタルコレクション。
- 『寛政重修諸家譜. 第5輯』、國民圖書、1923年、894頁。国立国会図書館デジタルコレクション。