神山清志
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1956年撮影[1] | |
基本情報 | |
別名 | 岡 きよし、深山しぐれ[2] |
生誕 | 1921年3月9日 |
出身地 | 日本 栃木県上都賀郡足尾町(現:日光市) |
死没 | 1982年11月7日(61歳没)[2][3] |
ジャンル | 県民歌、校歌、音頭 |
職業 | 作詞家、新聞記者 |
共同作業者 | 和田香苗 |
神山 清志(かみやま きよし、1921年3月9日 - 1982年11月7日[3])は日本の新聞記者、作詞家。別名義に岡 きよし(おか きよし)[4]、深山 しぐれ(みやま しぐれ)[2]。
経歴
[編集]1921年(大正10年)、栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)に生まれる[4]。小学生の頃から詩作に取り組み、20歳の時には西條八十が主宰する詩誌『蝋人形』の同人として活動していた[5]。戦後は引き続き高橋掬太郎に師事していたが、1948年(昭和23年)11月に毎日新聞社へ入社し足尾通信部を振り出しに宇都宮支局、佐野通信部に勤務[5]。
1962年(昭和37年)、栃木県が主催した県民歌の歌詞募集で応募作が入選する(岡きよし名義)[5]。これ以降も新聞記者として活動する傍ら作詞に取り組んだ。特に音頭は本名の「神山清志」名義で、和田香苗の作曲により多数の作品を残している。
1982年(昭和57年)11月7日、親族の集まりで宿泊していた塩谷郡藤原町(現在の日光市鬼怒川)の鬼怒川温泉で入浴中に倒れ、急性心不全のため死去[3]。享年62(満61歳没)。
作品
[編集]特に注記の無いものは本名(神山清志名義)。
自治体歌
[編集]校歌
[編集]現在はいずれも廃止されている。
- 栃木県立足尾高等学校校歌 - 神山きよし名義
- 栃木県立佐野松陽高等学校校歌 - 岡きよし名義
- 足尾町立原小学校校歌 - 岡きよし名義
音頭
[編集]いずれも和田香苗の作曲。
- 磯づり音頭
- 青春音頭
- 日本列島音頭
- 坊ちゃん音頭
その他
[編集]- 男涙の石刀節
参考文献
[編集]- 下野新聞社 編『明るい郷土を担う人々』昭和31年度版 全国書誌番号:58012952
- 吉村光右 編『風土の中の栃木県校歌集 下巻(中・高・大編)』(栃木県連合教育会、1988年) NCID BN04491930