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神山清志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神山かみやま 清志きよし
1956年撮影[1]
基本情報
別名 岡 きよし、深山しぐれ[2]
生誕 (1921-03-09) 1921年3月9日
出身地 日本の旗 日本 栃木県上都賀郡足尾町(現:日光市
死没 (1982-11-07) 1982年11月7日(61歳没)[2][3]
ジャンル 県民歌校歌音頭
職業 作詞家、新聞記者
共同作業者 和田香苗

神山 清志(かみやま きよし、1921年3月9日 - 1982年11月7日[3])は日本新聞記者作詞家。別名義に岡 きよし(おか きよし)[4]深山 しぐれ(みやま しぐれ)[2]

経歴

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1921年(大正10年)、栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)に生まれる[4]。小学生の頃から詩作に取り組み、20歳の時には西條八十が主宰する詩誌『蝋人形』の同人として活動していた[5]。戦後は引き続き高橋掬太郎に師事していたが、1948年昭和23年)11月に毎日新聞社へ入社し足尾通信部を振り出しに宇都宮支局、佐野通信部に勤務[5]

1962年(昭和37年)、栃木県が主催した県民歌の歌詞募集で応募作が入選する(岡きよし名義)[5]。これ以降も新聞記者として活動する傍ら作詞に取り組んだ。特に音頭は本名の「神山清志」名義で、和田香苗の作曲により多数の作品を残している。

1982年(昭和57年)11月7日、親族の集まりで宿泊していた塩谷郡藤原町(現在の日光市鬼怒川)の鬼怒川温泉で入浴中に倒れ、急性心不全のため死去[3]。享年62(満61歳没)。

作品

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特に注記の無いものは本名(神山清志名義)。

自治体歌

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校歌

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現在はいずれも廃止されている。

旧佐野商業高等学校の時代に制定[6]2011年平成23年)に田沼高校との統廃合により開校した佐野松桜高校へは引き継がれなかった。

音頭

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いずれも和田香苗の作曲。

  • 磯づり音頭
  • 青春音頭
  • 日本列島音頭
  • 坊ちゃん音頭

その他

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  • 男涙の石刀節

参考文献

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  • 下野新聞社 編『明るい郷土を担う人々』昭和31年度版 全国書誌番号:58012952
  • 吉村光右 編『風土の中の栃木県校歌集 下巻(中・高・大編)』(栃木県連合教育会、1988年NCID BN04491930

出典

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  1. ^ 下野新聞社編(1956), p251
  2. ^ a b c 日外アソシエーツ・WhoPlus「神山清」
  3. ^ a b c 下野新聞、1982年11月9日付3面「『県民の歌』の作詞者 岡きよしさん死去」
  4. ^ a b 親しまれ「県民の歌」半世紀”. 下野新聞SOON. 下野新聞社 (2013年6月15日). 2015年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月8日閲覧。
  5. ^ a b c 下野新聞、1962年8月15日付2面「県章・県民歌決まる」。
  6. ^ 吉村(1988), p301