石黒慶蔵
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石黒 慶蔵(いしぐろ けいぞう、1888年9月18日 - 1963年3月1日)は、日本の歯科医師、歯科医療器具発明家、歯科医院経営者。(社)鶴岡歯科医師会会長、(社)山形県歯科医師会理事。
人物
[編集]23歳年上の従兄弟に発明家・斎藤外市がいた事が影響したのか、歯科医師を務める傍ら、歯科医療器具の発明に熱心に取り組んで、数多くの新案特許を収得している。玄人の域に達していたと云われる、ラジオ受信機の組立てや芸術写真が趣味であった。また、当時の地元では、歯学士の学位を収得した歯科医師は珍しく関心を持たれた。
略歴
[編集]- 1888年(明治21年) - 山形県西田川郡鶴岡(現・鶴岡市)に石黒慶助の長男として生れる。
- 1906年(明治39年) - 荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業(同窓生に土屋竹雨がいた。)
- 石黒工場(父の経営する羽二重織物工場) 勤務
- 1913年(大正2年)3月 - 日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)入学
- 在学中に学費を払えなくなったため、優等生となり学費を免除してもらう。
- 1916年(大正5年) - 同校を首席で卒業。歯学士号取得。
- 1917年(大正6年) - 鶴岡歯科医師会が設立され入会する。
- 6月11日 - 山形県歯科医師会通常総会が鶴岡市の大宝館で開催され、上野裕、町野重治、阿部寛らと共に出席する。
- 1921年(大正10年) - (社)山形県歯科医師会理事 就任(1922年(大正11年)まで)
- 1925年(大正14年) - 鶴岡歯科医師会副会長 就任(翌年まで)
- 1929年(昭和4年) - 同副会長 就任(1930年(昭和5年)まで)
- 1930年(昭和5年) - (社)山形県歯科医師会理事 就任(1931年(昭和6年)まで)
- 1936年(昭和11年) - (社)山形県歯科医師会歯学術部委員 就任
- 1943年(昭和18年) - (社)山形県歯科医師会理事 就任(1944年(昭和19年)まで)
- 1946年(昭和21年)1月 - (社)山形県歯科医師会第2支部(鶴岡市区域)副支部長 就任
- 1947年(昭和22年)8月 - (社)鶴岡歯科医師会が新たに設立され会員となる。次男の進之助は理事に就任した。
- 1949年(昭和24年) - (社)鶴岡歯科医師会会長 就任
- 同年、税金問題で同会長職を退く。
- 1952年(昭和27年) - (社)山形県歯科医師会代議員 就任(1953年(昭和28年)まで)
- 1962年(昭和37年) - 山形県歯科医師会功労表彰受賞
- 1963年(昭和38年) - 死去。74歳、鶴岡市の光明寺に墓がある。
家族親族
[編集]- 父:石黒慶助 - 『石黒工場』(羽二重織物工場)経営者
- 妻:? - 斎藤墨湖(画家)の孫
- 義妹:? - 川村智保(画家)の妻
- 従兄:斎藤外市 - 発明家
- 弟:石黒岩太 - 陸軍少将
- 長男:石黒慶之助 - 歯科医師、医学博士
- 次男:石黒進之助 - 歯科医師
- 孫:石黒慶一 - 歯科医師、歯学博士
- 孫:石黒豊 - 歯科医師