石田泰三
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県豊前市 |
生年月日 | 1934年6月11日 |
没年月日 | 2017年4月26日(82歳没) |
身長 体重 |
170 cm 60 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1954年 |
初出場 | 1955年 |
最終出場 | 1956年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - 2017年4月26日[1])は、福岡県豊前市[2]出身のプロ野球選手(内野手)。
経歴
[編集]小倉高校では、1年生の時に控え選手として1951年夏の甲子園に進む。1回戦で芦屋高に全員安打を喫し大敗[3]。3年時にはエースとして1953年春の選抜に出場。御所実の田原康行(阪急ブレーブス)、銚子商の原精次(大映スターズ)に投げ勝ち準決勝に進むが、加藤昌利のいた洲本高に敗退[4]。同年夏の甲子園県予選でも準決勝に進出するが、東筑高の仰木彬投手に抑えられ甲子園出場はならなかった。高校同期に遊撃手の有町昌昭がいた。
1954年に中日ドラゴンズへ入団[2]し、内野手に転向。1955年に一軍に上がり、7月には二塁手として初の先発出場を果たす。翌1956年も二塁手、三塁手として起用されるが、その後は出場機会に恵まれず1957年限りで引退。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1955 | 中日 | 13 | 13 | 12 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | .083 | .083 | .083 | .167 |
1956 | 18 | 25 | 25 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | .160 | .160 | .160 | .320 | |
通算:2年 | 31 | 38 | 37 | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | .135 | .135 | .135 | .270 |
背番号
[編集]- 65 (1954年)
- 41 (1955年)
- 24 (1956年 - 1957年)
脚注
[編集]- ^ “OB NEWS Vol.74” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2017年7月). 2020年6月21日閲覧。
- ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、42ページ
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 石田泰三 - NPB.jp 日本野球機構