石川宗光
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石川宗光(東東洋筆、個人蔵) | |
時代 | 江戸時代 |
生誕 | 寛政6年3月27日(1794年12月21日) |
死没 | 天保11年6月24日(1840年7月22日) |
改名 | 光明→宗光 |
別名 | 左源太、右膳、主馬、大和 |
戒名 | 凡山了翁大居士 |
墓所 | 長泉寺(宮城県角田市) |
主君 | 伊達斉宗→斉義→斉邦 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 角田石川家 |
父母 | 父:石川村任、母:藤姫(伊達村良の娘) |
兄弟 | 光尚、宗光 |
妻 |
正室:孝(三沢村延の娘) 継室:千勢(大内定知の娘) |
子 | 義光、古内実広、元子(伊達邦隆室) |
石川 宗光(いしかわ むねみつ)は、江戸時代の武士。仙台藩一門筆頭・角田石川家第12代(陸奥石川氏第36代)当主。
生涯
[編集]寛政6年(1794年)11月29日、角田石川家第10代当主・石川村任の三男として生まれる。幼名は左源太。
文化元年(1804年)2月、第11代当主の兄光尚早世により家督相続。右膳光明と名乗る。幼いため家政を監督する目付けが本藩より付けられた。文化9年(1812年)藩主伊達斉宗の偏諱を受け、主馬宗光と改名。後大和と改めた。
文政元年(1818年)領内に郷校成教書院を開設し領内の学問の興隆に努めた。
文政2年(1819年)8月、藩主となった斉義と共に江戸に上り、江戸城で将軍家斉、世子家慶に拝謁する。
天保11年(1840年)6月24日死去。享年47。家督は嫡男義光が相続した。
仙台藩や石川家の御用絵師を務めた東東洋の筆による、宗光夫妻の肖像画(賛:南山古梁)が残されている(個人蔵)。
参考文献
[編集]- 『源流無尽』
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