石川善右衛門
表示
石川 善右衛門(いしかわ ぜんえもん、慶長12年(1607年) - 寛文9年12月1日(1670年1月22日))は、江戸時代前期の武士 [1]、水利土木家[2]。名は成一[1]。善右衛門は通称[2]。
備前岡山藩士[1]。寛永8年(1631年)父八兵衛の死後、その跡を継ぎ代官となる[2]。そののち寛永19年(1642年)児島郡奉行となる[1]。承応3年(1654年)、7月備前各地に大水害が発生[2]。藩主池田光政の命を受け水害からの復旧に尽力し、10年に渡り300余の溜め池をつくり、治水と灌漑に功績をあげた[1]。寛文5年(1665年)普請奉行となる[1]。