コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

石川善右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石川 善右衛門(いしかわ ぜんえもん、慶長12年(1607年) - 寛文9年12月1日1670年1月22日))は、江戸時代前期の武士 [1]水利土木[2]。名は成一[1]。善右衛門は通称[2]

経歴・人物

[編集]

備前岡山藩[1]寛永8年(1631年)父八兵衛の死後、その跡を継ぎ代官となる[2]。そののち寛永19年(1642年児島郡奉行となる[1]承応3年(1654年)、7月備前各地に大水害が発生[2]。藩主池田光政の命を受け水害からの復旧に尽力し、10年に渡り300余の溜め池をつくり、治水と灌漑に功績をあげた[1]寛文5年(1665年)普請奉行となる[1]

明治43年(1910年)、従四位を追贈された[3]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『石川善右衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『石川善右衛門』 - コトバンク
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.27