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石射文五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石射文五郎
いしい ぶんごろう
生年月日 1863年1月22日[注釈 1]
出生地 日本の旗 日本 陸奥国白河郡太田川村
(現・福島県西白河郡泉崎村
没年月日 (1940-12-03) 1940年12月3日(77歳没)
出身校 福島県師範学校予科
(現・福島大学
所属政党 立憲政友会
子女 長男・石射猪太郎

選挙区 (福島県郡部選挙区→)
福島県第2区
当選回数 2回
在任期間 1917年4月20日 - 1920年2月26日
1928年2月20日 - 1930年1月21日

在任期間 1892年 - ?

川崎村会議員
在任期間 1887年 - 1903年

西白河郡会議員
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石射 文五郎(いしい ぶんごろう、1863年1月22日文久2年12月3日[1][注釈 1]〉- 1940年昭和15年〉12月3日[3])は、日本の農業経営者、実業家政治家衆議院議員

経歴

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陸奥国白河郡太田川村[1]福島県西白河郡川崎村を経て現泉崎村)で、素封家・石射兵三郎の息子として生まれる[2]。大原満治、山下直太郎から漢学を学び、さらに福島県師範学校予科で学んだ[4]

1887年(明治20年)から1903年(明治36年)まで川崎村会議員を務め、1892年(明治25年)に福島県会議員に選出され、同常置委員や、その他、西白河郡会議員、福島民報主筆を務めた[1][3]1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙に福島県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選[3][4]。その後、第16回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算2期務めた[3][4]

実業界では、1898年(明治31年)の福島県農工銀行の創立に加わり、翌年、専務取締役に就任[1][3]。その他、只見川電気監査役、九州石炭砿業取締役などを務め、北海道や九州の開拓事業も手掛けた[1][3][4]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 『福島誌上県人会』12頁では1863年2月3日(文久2年12月15日[2])。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『福島県史 第22巻』57頁。
  2. ^ a b c 『福島誌上県人会』12頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』58頁。
  4. ^ a b c d 『衆議院議員略歴』21頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
  • 松沢忠雄編『福島誌上県人会』福島県友会出版部、1923年。