石丸有定
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 天文16年(1547年)[1] |
死没 | 寛永8年11月6日(1631年12月28日)[1] |
別名 | 孫次郎、号:半斎、般西[1] |
墓所 | 松岳院(神奈川県横浜市青葉区) |
主君 | 北畠具教→織田信雄→徳川家康 |
氏族 | 石丸氏 |
父母 | 父:石丸有次[1]、母:星合具種の娘[2] |
子 | 石丸正次、石丸定政、石丸有行、娘(石丸有吉妻)、養子:石丸有吉[2] |
経歴・人物
[編集]伊勢国の人物[1]。はじめ北畠具教に仕え、長野氏との抗争にて軍勢を率いて活躍する[1]。織田信長の次男である信雄が北畠氏の養子となると、これに属し、伊勢南部にて300貫文を知行する[1]。のち天正19年(1591年)信雄が豊臣秀吉により所領を没収され、出羽秋田へ流罪にされた際にもこれに従った[1]。文禄元年(1592年)徳川家康に招聘され、500石を知行する[1]。慶長3年(1598年)病気により蟄居する[1]。墓所は神奈川県横浜市青葉区のこどもの国近くの松岳院。