矢野謙三
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矢野 謙三(やの けんぞう、1902年(明治35年)1月30日[1][2] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、大日本帝国陸軍軍人。基隆市尹。
経歴・人物
[編集]矢野槌太郎の三男として福岡県福岡市に生まれる[1][2]。1920年(大正9年)福岡県立中学修猷館[3]、1923(大正12年)年第五高等学校文科甲類[4]を経て、1926年(大正15年)東京帝国大学法学部法学科卒業後、高等文官試験行政科試験に合格する[1]。
同年12月、野砲兵第6連隊に入隊し、1929年(昭和4年)4月に陸軍砲兵少尉に進む[1]。同年6月、台湾総督府属に転じ、総督官房文書課勤務となる[1]。1931年(昭和6年)5月、同府地方理事官となり、新竹州竹南郡守に発令され、1934年(昭和9年)9月に同州内務部教育課長、1936年(昭和11年)10月に台北州内務部地方課長を経て、1937年(昭和12年)9月29日に基隆市尹に就任した[1][2]。
その後は、総督府事務官、米穀局総務課長、州事務官、台北州産業部長などを経て、1941年(昭和16年)10月に州事務官・台北州産業部勤務となった[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。