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矢野・兵動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢野兵藤から転送)
矢野やの兵動ひょうどう
メンバー 矢野勝也
兵動大樹
結成年 1990年
事務所 吉本興業
活動時期 1990年 -
出身 NSC大阪校9期
出会い NSC
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才
ネタ作成者 兵動大樹
同期 ナインティナイン
チュパチャップス
へびいちご
川畑泰史
杉岡みどり
ほか
受賞歴
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矢野・兵動(やの・ひょうどう)は、吉本興業に所属する日本お笑いコンビ[1]1990年結成[2]。共にNSC大阪校9期生[3]

メンバー

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矢野 勝也(やの かつや、1970年8月17日 - )(54歳)[1]
ツッコミ担当、立ち位置は向かって左。
兵動 大樹(ひょうどう だいき、1970年7月24日 - )(54歳)[1]
ボケ・ネタ作成担当、立ち位置は向かって右。

略歴

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両者とも1990年にNSC大阪校(9期生)に入学[4]。同期にはナインティナインチュパチャップスへびいちご川畑泰史らがいる[4]

兵動は小学生の頃、漫才ブームをきっかけに芸人に憧れを持ち、その後、ダウンタウンを見て芸人を志す。子供の頃から芸人になることを夢見ていた兵動は素人時代から島川学(現・へびいちご)とコンビを結成し、島川と共にNSCへ入学した[4]。当時、市営住宅で同居していた祖母から「市営住宅に住んでいる子は芸人になられへん」と言われ、兵動は「そうなんや」と納得する。これをきっかけに、島川とのコンビを解散し、構成作家を志望するも、NSCに途中入学してきた矢野と出会い、1990年5月に結成する[注 1][4]

1994年、同期のナインティナインが東京で活躍し始める中、同年の上方お笑い大賞で銀賞(最優秀新人賞)を受賞[4]。その一方で仕事は激減し、営業が月に1回だけという時代が続く[注 2][4]。その頃の矢野は歌好きであったため、自分の好きなことを伸ばそうとボイストレーニングに通い始める[注 3][4]

2000年以降も仕事が少ない状況は変わらず、十年近く不遇の時代が続く中で、細々と漫才ライブを続けていた[4]。2004年に兵動が結婚し、2006年には第1子が誕生する[4]。その頃、大木こだま(大木こだま・ひびき)の助言により発奮した兵動は2003年にbaseよしもとにて1度行ったトークイベントをベースに、1人で月1回のトークライブ『兵動大樹のおしゃべり大好き。』を定期的に開催することを始めた[4][5]

2000年頃に兵動が後のR-1ぐらんぷりの基礎となるワッハ上方のワッハホール(現在のよしもと漫才劇場)にて開催された『これも落語だ』というイベントで落語に挑戦する機会があり、それを見たスタッフが「1人喋りでなにかイベントやってみたら?」と声をかけ、後の1人喋りのイベントの開催のきっかけとなる。

2007年の夏、東京で活動していた同期の宮川大輔からのオファーで同年9月放送の『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)のスピンオフ企画『大輔宮川のすべらない話』に兵動が出演[6][2]。その後『人志松本のすべらない話』本編にも出演するようになり[5]、2014年2月現在までにMVS[注 4]を計4回獲得[2]。『人志松本のすべらない話』に出演したことによって生活が一変したと述べている[5]

2009年5月、矢野がエンターテインメント集団「劇団YANOZAILE」を立ち上げる[7]

2010年には結成20周年を迎え、「結成20周年特別興行 漫才病 矢野・兵動祭〜矢野さんおおいに歌う! 〜」を5月29日になんばグランド花月、6月26日にルミネtheよしもとにて開催[8]。同年10月13日には兵動に第2子が誕生した[9]

2016年11月、矢野が劇団「PUNK」を立ち上げ、12月に旗揚げ公演『霧の中の星屑たち』を上演し、自身は原案・演出を担当[10]

受賞歴

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出演

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テレビ

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現在の出演

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特番

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過去の出演

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ラジオ

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CM

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  • イマジン・ジャパン
  • アジヨシ焼肉店
  • ホカロン(ロッテ
矢野

舞台

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  • 京橋花月よる芝居・CROSS CONNECTION〜クロス コネクション〜(2009年1月9日 - 18日、京橋花月
矢野
兵動
  • 「吉本百年物語 焼け跡、青春手帖」(2012年9月、なんばグランド花月) - 花菱アチャコ

掲載雑誌

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  • Look at STAR! Vol.8

映像作品

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  • うめだ花月2周年記念永久保存版
  • 新ファンキー・モンキー・ティーチャー どつかれたるねん
  • はビデ NEOお笑いクールウエイブ
  • 板の上〜これが、矢野・兵動だ!〜(※2009年の「漫才病」を収録)
  • よ〜いドンPresents 矢野・兵動の懐かしいモノ見学 1、2

脚注

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注釈

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  1. ^ 1990年5月にコンビを結成したとされているが、後に兵動は「コンビを組んだ覚えはない。気がついたら矢野が勝手に横にいた」、矢野は「事実婚と同じ。5年以上横におったら法律的にもコンビや」と語っている。
  2. ^ 当時心斎橋筋2丁目劇場で人気のあった陣内智則も「楽屋でどう声をかけていいのかわからなかった」と振り返っている。
  3. ^ この頃の矢野について陣内は、「本当にやばかった。空気が読めず、周囲から“イタい”といわれていた」と述べた。
  4. ^ 「MVP」にあたる賞[6]

出典

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  1. ^ a b c 矢野・兵動の記事まとめ”. お笑いナタリー. 株式会社ナターシャ. 2015年11月12日閲覧。
  2. ^ a b c 中西正男 (2014年2月9日). “<私の恩人>兵動大樹 「すべらない話」常連の兵動、同期2人に救われた!”. THE PAGE. ワードリーフ株式会社. p. 3. 2015年11月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 矢野・兵動”. 芸人プロフィール. 吉本興業. 2015年11月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j 矢野・兵動”. 八方・陣内・方正の黄金列伝. 讀賣テレビ放送 (2013年5月5日). 2015年11月14日閲覧。
  5. ^ a b c 中西正男 (2014年2月9日). “<私の恩人>兵動大樹 「すべらない話」常連の兵動、同期2人に救われた!”. THE PAGE. ワードリーフ株式会社. p. 2. 2015年11月14日閲覧。
  6. ^ a b 中西正男 (2014年2月9日). “<私の恩人>兵動大樹 「すべらない話」常連の兵動、同期2人に救われた!”. THE PAGE. ワードリーフ株式会社. p. 1. 2015年11月14日閲覧。
  7. ^ 劇団YANOZILE分裂の危機、パイセンの隠された過去とは”. お笑いナタリー. 株式会社ナターシャ (2010年3月19日). 2015年11月14日閲覧。
  8. ^ 漫才病重症、矢野・兵動結成20周年記念ライブ東西で開催”. お笑いナタリー. 株式会社ナターシャ (2010年3月20日). 2015年11月14日閲覧。
  9. ^ 兵動に第2子となる女の子が誕生”. お笑いナタリー. 株式会社ナターシャ (2010年10月14日). 2015年11月14日閲覧。
  10. ^ “パイセン矢野、劇団PUNK旗揚げ「若者たちに熱きメッセージを」”. お笑いナタリー. (2016年11月9日). https://natalie.mu/owarai/news/208618 2016年11月9日閲覧。 

外部リンク

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