矢田貝猶治
表示
矢田貝 猶治[1](やたがい ゆうじ、1880年(明治13年) - 1921年(大正10年)[2])は、日本の会社役員、政治家、素封家[3]、鳥取県の大地主。矢田貝家3代目[2]。中国貯蓄銀行取締役[1][4]。米子信託監査役[5]。鳥取県西伯郡会議員[3]。大幡村会議員。大幡信用購買組合監事[1]。
人物
[編集]鳥取県会見郡大幡村大字上細見(のち西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。連合国傷病兵罹災者慰問会寄付者である[6]。
家族
[編集]- 矢田貝家
脚注
[編集]- ^ a b c 『大日本紳士名鑑』鳥取県 29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月18日閲覧。
- ^ a b c 第1回 冨善一敏「報告 矢田貝家文書第一次調査概報」。
- ^ a b 『陰陽八郡郡勢一斑』193頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月18日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第21回』鳥取県 下編858頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月18日閲覧。
- ^ 『帝国銀行会社要録 附・職員録 大正9年(9版)』職員録や459頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月18日閲覧。
- ^ 『聯合国傷病兵罹災者慰問会寄附者名簿 大正6年』568頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月18日閲覧。
- ^ 『島根鳥取名士列伝 下』92 - 94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月18日閲覧。
- ^ 『鳥取島根官民肖像録』301頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 下』博進館、1903 - 1906年。
- 深田豊一編『鳥取島根官民肖像録』博進館、1912年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第21回』商業興信所、1913年。
- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 﨏雨村編『陰陽八郡郡勢一斑』陰陽八郡時報社、1917年。
- 『聯合国傷病兵罹災者慰問会寄附者名簿 大正6年』聯合国傷病兵罹災者慰問会、1917年。
- 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 附・職員録 大正9年(9版)』帝国興信所、1920年。
外部リンク
[編集]- 国登録有形文化財 矢田貝家住宅 - 伯耆町
- 矢田貝家住宅 - 鳥取県 地域づくり推進部 文化財局 文化財課