矢島栄助
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矢島 栄助(やじま えいすけ、1869年3月30日(明治2年2月18日)[1] - 1947年(昭和22年)9月16日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家・実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は富吉[1]。
経歴
[編集]先代矢島栄助(1836-1905)[3]の長男としてのちの山梨県甲府市緑町に生まれ、1899年(明治32年)7月に家督を相続する[1]。1905年(明治38年)襲名する[1]。東京共立学校を経て、東京専門学校を卒業する[2]。1905年(明治38年)10月、甲府市会議員に当選したのを皮切りに、同市参事会員、同市会議長を歴任する[4]。1911年(明治44年)山梨県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1915年(大正4年)1月14日[6]まで在任した[2]。1922年(大正11年)甲府商業会議所会頭に就任した[3]。
ほか、甲府商業会議所常議員、同会頭、山梨新聞取締役、第十銀行頭取、甲府瓦斯、矢島製糸各社長などを歴任した[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 甲府興信所 編『山梨人事興信録 第3輯』甲府興信所、1940年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。