コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

矢島栄助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢島栄助

矢島 栄助(やじま えいすけ、1869年3月30日明治2年2月18日[1] - 1947年昭和22年)9月16日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員。幼名は富吉[1]

経歴

[編集]

先代矢島栄助(1836-1905)[3]の長男としてのちの山梨県甲府市緑町に生まれ、1899年(明治32年)7月に家督を相続する[1]1905年(明治38年)襲名する[1]東京共立学校を経て、東京専門学校を卒業する[2]1905年(明治38年)10月、甲府市会議員に当選したのを皮切りに、同市参事会員、同市会議長を歴任する[4]1911年(明治44年)山梨県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1915年(大正4年)1月14日[6]まで在任した[2]。1922年(大正11年)甲府商業会議所会頭に就任した[3]

ほか、甲府商業会議所常議員、同会頭、山梨新聞取締役、第十銀行頭取、甲府瓦斯、矢島製糸各社長などを歴任した[4]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 甲府興信所 1940, 1147頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 217頁.
  3. ^ a b 『山梨百科事典』増補改訂版、943頁。
  4. ^ a b 甲府興信所 1940, 1148頁.
  5. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。
  6. ^ 『官報』第734号、大正4年1月15日。

参考文献

[編集]