エドウィン・ダン記念館
エドウィン・ダン記念館 | |
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施設情報 | |
管理運営 | エドウィン・ダン記念館運営委員会[1] |
建物設計 | 北海道事業管理局[2] |
開館 | 1969年(昭和44年)[3] |
所在地 | 日本 北海道札幌市南区真駒内泉町1丁目 |
位置 | 北緯42度59分20秒 東経141度21分08秒 / 北緯42.98889度 東経141.35222度 |
外部リンク | エドウィン・ダン記念館 |
プロジェクト:GLAM |
エドウィン・ダン記念館(エドウィン・ダンきねんかん)は、明治時代のお雇い外国人、エドウィン・ダンを記念し紹介する施設で、北海道札幌市南区真駒内泉町のエドウィン・ダン記念公園内にある。ダンの事績と札幌開拓の歴史を示す。記念館の建物は、1887年(明治20年)に建てられた真駒内種畜産場事務所を移築したもので、木造、白塗りで緑の屋根を持つ。
来歴
[編集]建物は、1880年(明治13年)、ダンにより北海道開拓使の「牧牛場の事務所」として建設されたものである。設計は農商務省北海道事業管理局[2]。1876年(明治9年)の真駒内牧牛場開設から進駐した米軍に接収される1946年(昭和21年)までの70年間、利用されていた。
1964年(昭和39年)、エドウィン・ダン顕彰会[注 1]が当初は解体予定となっていた同事務所を保存するため、現在地に移築し、関係資料の展示を行った[4]。
1990年(平成2年)に、「旧真駒内種畜場事務所(現 エドウィン・ダン記念館)」として札幌市のふるさと文化百選に、また「エドウィン・ダン記念館と記念公園」として第13回札幌市都市景観賞に選ばれている[6][7]。また、2000年(平成12年)9月26日には、国の登録有形文化財に登録されている[2]。
2007年(平成15年)5月、建物の老朽化にともなう改修工事をおこない、再開館している。
展示
[編集]ダンの来日から晩年までを描いた一木万寿三による油絵23点が展示されているほか、種畜場の模型やダンゆかりの遺品なども展示されている[8]。
なお、最初の妻ツルの肖像として館内に展示されていた女性の写真は、ダンの娘ヘレンが所持していたことからその母(ツル)とされていたが、のちに別人であることが判明した[注 2]。
エドウィン・ダン記念公園
[編集]旧真駒内中央公園。南区役所のそば(南東方向)、真駒内川と国道453号の東にある都市公園である。南北に長い。面積2万4000平方メートル。中央を真駒内用水が流れ、公園内で池を作る。公園の南は遊具を置いた遊戯広場で、中央にエドウィン・ダン像、北東角付近にエドウィン・ダン記念館がある。東側に隣接して札幌南郵便局がある。南消防署は公園の北方向に隣接する。北600メートルほどに、広い敷地をとる真駒内公園がある。
真駒内種畜場(真駒内牧牛場)
[編集]真駒内牧牛場はエドウィン・ダンの選定に基づき、1877年(明治10年)に建設された牧場。ダンはここを畜産技術改良のための拠点とし、牛、豚、馬を飼育、100ヘクタールの飼料畑を整備し、バター・チーズ・練乳の製造およびハム・ソーセージの加工技術を指導した。
1886年(明治19年)に北海道庁が管轄する真駒内種畜場となると牛以外の各種家畜の改良・繁殖も開始し[13]、その後も1893年(明治26年)に北海道庁種畜場[14]、1936年(昭和11年)には北海道農事試験場畜産部[15]などと改称されながら北海道における畜産技術研究の拠点となった。第二次世界大戦敗戦により1946年(昭和21年)に用地を進駐軍に接収された後は、新得町(北海道上川郡)に新たな研究拠点が設けられ、幾多の変遷を経て現在の北海道立総合研究機構農業研究本部畜産試験場へとつながる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “エドウィン・ダン記念館の運営管理”. 札幌市市民活動サポートセンター. 札幌市市民活動サポートセンター. 2016年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月12日閲覧。 “エドウィン・ダン記念館の改修を機に、同施設の運営管理を地域住民による運営委員会が受託。お茶会、ミニコンサートの開催など、地域住民の憩いの場、文化活動の拠点として様々な取組を展開している。”
- ^ a b c “登録有形文化財(建造物) : エドウィン・ダン記念館(旧北海道庁真駒内種畜場事務所)”. 国指定文化財等データベース. 文化庁 (2000年9月26日). 2016年7月3日閲覧。 “解説文:農商務省所管の真駒内種畜場の事務所として同省北海道事業管理局が設計。下見板張,寄棟造で正面中央に切妻造の玄関及び屋根窓を構え,背後に両側面ベランダ付の部屋を増設。真駒内中央公園内に移築,畜産技術を指導したお雇い米国人ダンの記念館として公開。”
- ^ “ダン エドウィンとは”. コトバンク. 2016年7月3日閲覧。
- ^ a b “エドウィン・ダン記念館(旧北海道庁真駒内種畜場事務所)”. 北海道文化資源DB. 北海道環境生活部文化局文化振興課 (2006年2月). 2023年4月12日閲覧。 “戦後米軍の接収により種蓄場は移転しましたが、有志はこの由緒ある建物を撤去するに忍びず、1964(昭和39)年に「エドウィン・ダン顕彰会」(現「ダンと町村記念事業協会」)によりここに移設し、関係資料を展示しています。”
- ^ ダンと町村記念事業協会 編『ダンと町村記念事業協会 45年の歩み』財団法人 ダンと町村記念事業協会、(札幌)、2007年3月 。
- ^ 市民まちづくり局都市計画部: “第13回札幌市都市景観賞受賞作品が決定しました。”. 札幌市公式ウェブサイト. 札幌市役所 (2007年). 2010年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月12日閲覧。
- ^ 札幌市まちづくり政策局都市計画部地域計画課: “第13回都市景観賞”. 札幌市公式ウェブサイト. 札幌市役所 (2023年2月13日). 2023年4月12日閲覧。
- ^ “エドウィン・ダン記念館”. 札幌市南区ウェブサイト. 札幌市南区役所 (2023年3月13日). 2023年4月12日閲覧。
- ^ “大使のよもやま話 : 〈日本に骨を埋めたベルギー外交官〉”. 在ベルギー日本国大使館. 在ベルギー日本国大使館 Embassy of Japan in Belgium (2013年10月1日). 2023年4月12日閲覧。 “明治期、日本に17年間の長きに亘り在勤したベルギーの外交官がいました。その人の名前はアルベール・ダネタン男爵。1883年から1910年まで特命全権公使を務められました。日本とベルギーの間に大使の交換が行われるようになったのは1921年からですので、ダネタン公使は在日ベルギー公使館の館長だったのです。”
- ^ “Fourteen Years of Diplomatic Life in Japan.”. 一誠堂書店. 2023年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月14日閲覧。 ※同書初版の外見写真。
- ^ "Fourteen years of diplomatic life in Japan; leaves from the diary of Baroness ALbert d'Anethan", Baroness Albert d' Anethan, 1912, S. Paul & Company. p. 313.
- ^ Fourteen years of diplomatic life in Japan; leaves from the diary of Baroness ALbert d'Anethan|書誌詳細|国立国会図書館オンライン
- ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第2巻 通史2 : 第六編 道都への出発 : 第三章 周辺農村の発展と農業の振興 : 第三節 農業生産の定着 : 一 農業行政の展開と試験事業 : 各種試験場等の変遷”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1991年10月). 2023年4月12日閲覧。
- ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第4巻 通史4 : 第八編 転換期の札幌 : 第五章 農業の再編成と工業化の進展 : 第一節 農業 : 一 農政の展開と札幌の農業 : 農業試験機関の充実”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1997年3月). 2023年4月12日閲覧。
- ^ 『平成27年度 北海道農業研究センター年報 (2015)』農業研機構 北海道農業研究センター、2016年11月、2頁 。「昭和11〔年〕1936〔年〕/真駒内に北海道農事試験場畜産部新設」