眞行寺和彦
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名前 | ||||||
愛称 | シンギョウ[1] | |||||
カタカナ | シンギョウジ カズヒコ | |||||
ラテン文字 | SHINGYOJI Kazuhiko | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年2月5日(38歳) | |||||
出身地 | 東京都江東区 | |||||
身長 | 170cm[2] | |||||
体重 | 67kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[2] | |||||
利き足 | 右足[1] | |||||
ユース | ||||||
1991-1992 | 東京ガスJr. | |||||
1993-1997 | 砂町SC | |||||
1998-2000 | 東京ガスJY / FC東京U-15 | |||||
2001-2003 | 修徳高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | 水戸ホーリーホック | 100 | (5) | |||
2009-2011 | ブラウブリッツ秋田[注 1] | 63 | (3) | |||
通算 | 163 | (8) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
眞行寺 和彦(しんぎょうじ かずひこ、1986年2月5日 - )は東京都江東区出身の[3]元サッカー選手。一部から「水戸のプリンス」と言われていた。
来歴
[編集]中学時代はFC東京の下部組織でプレー。同期に梶山陽平、鎌田次郎、斎藤雅也など。
2001年に修徳高等学校へ進学。2004年に修徳高校の同期である小椋祥平と共に水戸ホーリーホックに入団[4]。2年目となる2005年の中盤にはレギュラーに定着し、セットプレーのキッカーを担った[1]。2007年第1クールの終盤から徐々に出場機会を減らし、2008年シーズン終了をもって水戸を退団[5]。
2009年、TDK SC(後にブラウブリッツ秋田)に移籍。TDKでは開幕戦からスターティングメンバーで出場し主軸となるが、JFL前期第7節流通経済大学戦で骨折し長期離脱するなど負傷に苦しんだ[6]。2011年限りで現役を引退[6]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 1991年 - 1992年 東京ガスFCジュニア[4]
- 1993年 - 1997年 砂町サッカークラブ[4][注 2]
- 1998年 - 2000年 東京ガスFCジュニアユース / FC東京U-15[注 3]
- 2001年 - 2003年 修徳高等学校
- シニア経歴
- 2004年 - 2008年 水戸ホーリーホック
- 2009年 - 2011年 TDKサッカー部 / ブラウブリッツ秋田
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 水戸 | 29 | J2 | 8 | 0 | - | 0 | 0 | 8 | 0 | |
2005 | 22 | 0 | - | 2 | 0 | 24 | 0 | ||||
2006 | 32 | 2 | - | 0 | 0 | 32 | 2 | ||||
2007 | 30 | 2 | - | 1 | 0 | 31 | 2 | ||||
2008 | 8 | 1 | - | 1 | 0 | 9 | 1 | ||||
2009 | TDK | 14 | JFL | 16 | 2 | - | 1 | 0 | 17 | 2 | |
2010 | 秋田 | 7 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | ||
2011 | 23 | 0 | - | 0 | 0 | 23 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J2 | 100 | 5 | - | 4 | 0 | 104 | 5 | ||
日本 | JFL | 63 | 3 | - | 2 | 0 | 65 | 3 | |||
総通算 | 163 | 8 | - | 6 | 0 | 169 | 8 |
- 2004年5月ヴァンフォーレ甲府 (小瀬)[8] 2日:Jリーグ初出場 - J2第9節 vs
- 2006年7月12日:Jリーグ初得点 - J2第27節 vs湘南ベルマーレ (笠松)[8]
- 2008年8月10日:Jリーグ100試合出場 - J2第30節 vsザスパ草津 (笠松)
- 2009年3月15日:JFL初出場 - JFL前期第1節 vsSAGAWA SHIGA FC (守山)[9]
- 2009年3月22日:JFL初得点 - JFL前期第2節 vs佐川印刷SC (仁賀保)[10]
脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ a b c 選手データベース - ウェイバックマシン(2007年10月23日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
- ^ a b c ブラウブリッツ秋田 日本フットボールリーグ
- ^ a b 元Jリーガー院長の整骨院OPEN!! ナイス住まいの情報館 (2016年4月16日)
- ^ a b c 新加入選手のお知らせ [水戸] Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2003年12月20日)
- ^ 水戸ホーリーホック契約満了選手 - ウェイバックマシン(2008年12月25日アーカイブ分) 水戸ホーリーホック (2008年11月30日)
- ^ a b 眞行寺和彦選手引退のお知らせ ブラウブリッツ秋田 (2012年2月14日)
- ^ 眞行寺和彦選手 引退メッセージ 砂町サッカークラブ (2012年2月12日)
- ^ a b 登録選手一覧表 Jリーグ (2008年12月12日)
- ^ 公式記録 (PDF) 日本フットボールリーグ (2009年3月15日)
- ^ 公式記録 (PDF) 日本フットボールリーグ (2009年3月22日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 眞行寺和彦 - Soccerway.com
- 眞行寺和彦 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 眞行寺和彦 - J.League Data Siteによる選手データ
- 選手スタッフ紹介 眞行寺 和彦 - ウェイバックマシン(2009年5月15日アーカイブ分) - 水戸ホーリーホック
- MF7 眞行寺 和彦 - ウェイバックマシン(2011年8月30日アーカイブ分) - ブラウブリッツ秋田
- 認定トレーナー紹介 of Tsuji式PNFテクニック - 日本PNFテクニック協会
- YURA Medical 整骨院 - 自身が院長を務める整骨院