目黒区立月光原小学校
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目黒区立月光原小学校 | |
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北緯35度37分22.90秒 東経139度41分42.13秒 / 北緯35.6230278度 東経139.6950361度座標: 北緯35度37分22.90秒 東経139度41分42.13秒 / 北緯35.6230278度 東経139.6950361度 | |
過去の名称 |
東京市月光原尋常小学校 月光原国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 目黒区 |
設立年月日 | 1934年1月29日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B113211000138 |
所在地 | 〒152-0002 |
東京都目黒区目黒本町4丁目15番3号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
目黒区立月光原小学校(めぐろくりつ げっこうはらしょうがっこう)は、東京都目黒区目黒本町4丁目にある区立小学校。
沿革
[編集]- 1934年(昭和9年)1月29日[1] - 月光原尋常小学校として開校。ただし、当時は男子校だった。
- 1934年(昭和14年) - 児童数1411名(24学級)と、学校の歴史上で最大の児童数となる。
- 1940年(昭和15年)7月 - 校歌制定。防火用水を兼ねたプール(縦25m×横7m)が完成。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、月光原国民学校と改称。
- 1944年(昭和19年)9月 - 戦局の悪化により、山梨県甲府市への学童集団疎開実施。ただし、一部の児童は、学校内に疎開。
- 1945年(昭和20年)5月23日 - 当日夜から翌日未明にかけての大空襲で、校舎が全焼した。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により、目黒区立月光原小学校と改称し、男女共学となる。
- 1948年(昭和23年)
- 1950年(昭和25年)9月 - 完全(パン食)給食実施。
- 1953年(昭和28年) - この年から1955年(昭和30年)まで、校地が広げられた。戦後以降、校庭に都営住宅が建っていたため、校庭が無かった。
- 1964年(昭和39年)
- 1968年(昭和43年) - この年から1975年(昭和50年)まで、鉄筋校舎建設。
- 1970年(昭和45年) - 新しいプール(25m×10m)完成。
- 1992年(平成4年) - コンピュータ室ができ、コンピュータを使っての学習が開始。
- 1997年(平成9年)10月 - 月光原タイムが始まる(林試の森でのオリエンテーリング)。
- 2001年(平成13年)9月 - コンピュータ室が新しく完成する。月光原小学校のウェブページを開設。
- 2005年(平成17年)1月 - 開校70周年記念式典挙行。
- 2009年(平成21年) - 開校75周年を迎える。
- 2010年(平成22年)9月 - 校庭が人工芝になる。校庭の人工芝お披露目会開催。
- 2014年(平成26年)
教育目標
[編集]- 心豊かですなおな子
- 自他を尊重し、力を合わせてねばり強く物事に取り組み、共によりよい生活を築いていこうとする。
- すすんで学習する子
- 自ら課題をもち、見通しをもちながらその解決に向けて主体的に学習に取り組む。
- よく考えて行動する子
- 考えをもち、互いのよさを認め合いながら自己を高め、創意工夫しながら自己実現に向けて行動する。
- 健康で明るい子
- 進んで運動に取り組み、体力を高め、自らの健康を増進しながら、明るい生活をしようとする。
通学区域と進学先中学校
[編集]- 出典[2]
通学区域
[編集]- 目黒本町2丁目(1番~16番)
- 目黒本町3丁目(1番・8番~20番)
- 目黒本町4丁目(全域)
- 目黒本町5丁目(16番・17番・31番~33番)
- 目黒本町6丁目(1番・2番・12番)
- ただし、目黒本町4丁目19番地は、調整区域として、碑小学校への通学が可能。
進学先中学校
[編集]アクセス
[編集]周辺
[編集]- 目黒区立げっこうはらこども園 - 同一建物内かつ、進級前こども園のひとつ。
- 目黒区役所月光原地区住民センター
- 目黒本町郵便局
- このほか、中小規模のマンション・アパートなどの住宅地が広がっている。