岩手県立盛岡第二高等学校
表示
(盛岡第二高等学校から転送)
岩手県立盛岡第二高等学校 | |
---|---|
北緯39度42分15.109秒 東経141度9分41.789秒 / 北緯39.70419694度 東経141.16160806度座標: 北緯39度42分15.109秒 東経141度9分41.789秒 / 北緯39.70419694度 東経141.16160806度 | |
過去の名称 |
市立盛岡高等女学校 岩手県立高等女学校 岩手県立盛岡高等女学校 岩手県立盛岡高等学校白梅校舎 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岩手県 |
校訓 | 白梅精神(進取・清楚・強健) |
設立年月日 | 1897年(明治30年)4月12日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D103210000021 |
高校コード | 03102A |
所在地 | 〒020-0887 |
岩手県盛岡市上ノ橋町7-57 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岩手県立盛岡第二高等学校(いわてけんりつ もりおかだいにこうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Daini High School)は、岩手県盛岡市上ノ橋町に位置する県立高等学校。通称は「二高」(にこう)、「盛岡二高」(もりおかにこう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1897年(明治30年)に創立された「市立盛岡高等女学校」を前身とする。1950年(昭和25年)に男女共学に移行したが、1961年(昭和36年)に男子生徒が卒業したのを最後に、以降女子生徒しか在籍していない[1][2]。2012年(平成24年)に創立115周年を迎えた。
- 校訓
- 「進取・清楚・強健」- この3つをまとめて「白梅精神」と呼んでいる。
- 同窓会
- 「白梅同窓会」と称している。
沿革
[編集]- 高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1897年(明治30年)4月12日 - 「市立盛岡高等女学校」が開校。
- 1898年(明治31年)3月31日 - 補習科(修業年限1ヶ年)を設置。
- 1900年(明治33年)9月6日 - 県立代用学校に指定される。
- 1901年(明治34年)3月17日 - 盛岡市大沢川原の新築校舎に移転し、盛岡高等小学校との併設を改称。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 県立移管により、「岩手県立高等女学校」に改称。
- 修業年限を4ヶ年に改定し、定員を本科250名、技芸専修科50名、補習科若干名とする。
- 1903年(明治36年)4月1日 - 盛岡市大沢川原小路の一民家を借り受け、仮寄宿舎を開設。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 学則を改正し、生徒定員を本科350名とする。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 学則を改正し、生徒定員を本科400名、補習科50名とする。技芸専修科を廃止。
- 1911年(明治44年)
- 1912年(明治45年)1月20日 - 校歌「雪間に匂ふ」を発表。
- 1920年(大正9年)12月7日 - 天神町に寄宿舎が新築され、移転。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)4月1日 - 岩手県女子師範学校が併設される。
- 1926年(大正15年)3月22日 - 岩手県女子師範学校が移転し、併設を解消。
- 1932年(昭和7年)3月31日 - 補習科を廃止。
- 1936年(昭和11年)11月30日 - 盛岡市立盛岡高等家政学校に校舎の一部を貸与。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)3月31日 - 校舎の一部を使用していた盛岡市立盛岡高等家政学校が廃校。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)10月12日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:岩手県立盛岡高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たな生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立盛岡第二高等学校」(女子校)が発足。
- 普通科と通信教育部を設置し、定員を750名とする。
- 高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年として、高等女学校4年修了者を新制高校2年として編入。
- 併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。併設中学校は1946年(昭和21年)に高等女学校へ入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく公立高校再編
- 県立盛岡第一高等学校(男子校)、盛岡商業高等学校と統合の上、総合制高等学校「岩手県立盛岡高等学校」が発足。
- 組織は統合されたものの、施設は旧3校の既存の校舎を継承し、旧第一高校校舎を上田校舎、旧第二高校校舎を白梅校舎、旧商業高校校舎を商業部とする。またこの時点では上田校舎を普通科男子が、白梅校舎を普通科女子が使用する「校舎による男女別学」であったため、完全な男女共学ではなかった。
- 県立盛岡第一高等学校(男子校)、盛岡商業高等学校と統合の上、総合制高等学校「岩手県立盛岡高等学校」が発足。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 男女混合の学級を編成し、完全な男女共学を開始。
- 1951年(昭和26年)4月1日
- 統合解消により、「岩手県立盛岡第二高等学校」(現校名、普通科/男女共学)と復称。併置の岩手県立女子専門学校が岩手県立盛岡短期大学と改称。
- 上田校舎は岩手県立盛岡第一高等学校(普通科/男女共学)に復称。商業部は岩手県立盛岡第三高等学校(普通科・商業科/男女共学)[3]に改称(翌1952年(昭和27年)に普通科を廃止して岩手県立盛岡商業高等学校に復称)。
- 統合解消により、「岩手県立盛岡第二高等学校」(現校名、普通科/男女共学)と復称。併置の岩手県立女子専門学校が岩手県立盛岡短期大学と改称。
- 1952年(昭和27年)3月8日 - 通信教育部を県立盛岡第一高等学校に移管。
- 1955年(昭和30年)
- 1959年(昭和34年)1月29日 - 男子生徒が卒業し、在籍生徒が女子のみとなる。
- 1967年(昭和42年)8月24日 - 同窓会が社団法人白梅会となる。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 併置の岩手県立盛岡短期大学が本校から移転し、併設を解消。
- 1969年(昭和44年)3月26日 - 2階建ての体育館が完成。
- 1970年(昭和45年)
- 3月31日 - 寄宿舎を廃止。
- 7月 - 第3校舎と寄宿舎を解体。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)10月6日 - 校庭の整備を完了。
- 1980年(昭和55年)8月16日 - テニスコート・バレーボールコートの整備を完了。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1997年(平成9年)
- 2005年(平成17年)1月6日 - 旧・第一体育館を解体。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)8月27日 - グラウンドの整備を完了。
部活動
[編集]- 運動部
- 文化部
吹奏楽部
著名な出身者
[編集]- 深沢紅子(画家)
- 大西民子(歌人)
- 佐浦文香(作家)
- 村松玲子(合唱指揮者)
- 佐々木佑花(北海道放送社員、元アナウンサー)
- 管奈央子(フリーアナウンサー、元NHK秋田放送局契約キャスター、秋田テレビアナウンサー)
- 土村萌(元IBC岩手放送アナウンサー)
- 甲斐谷望(IBC岩手放送アナウンサー)
- 菅原エン(岩手県立盛岡高等女学校卒、衆議院議員)
- 高橋貞子 (作家)(1944年岩手県立盛岡高等女学校卒、作家)
- 野田ヒロ子(オペラ歌手)
- 上町史織(ハンドボール選手)
交通アクセス
[編集]周辺
[編集]- 岩手大学教育学部附属幼稚園・小学校・中学校
- 学校法人 白梅学園 白梅幼稚園
- 盛岡市立城南小学校
- 盛岡市立武道館
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ 朝日新聞2010年4月17日 アーカイブ 2010年4月20日 - ウェイバックマシン
- ^ 県内では、かつて同じような立場の高校として、岩手県立花巻南高等学校や岩手県立黒沢尻南高等学校があったが、これらはすでに共学校に移行しているため、現在、「実質上の」県立の女子高は同校のみとなる。
- ^ 現在の岩手県立盛岡第三高等学校とは無関係。
- ^ 白梅幼稚園 アーカイブ 2013年6月6日 - ウェイバックマシン
- ^ “4月ダイヤ改正について”. 岩手県交通. 2024年4月2日閲覧。
- ^ “盛岡二高へのアクセス”. 岩手県立盛岡第二高等学校. 2024年4月9日閲覧。