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盛岡丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
盛岡丸
基本情報
船種 貨物船
クラス 神盛丸級貨物船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 日本郵船
運用者 日本郵船
 大日本帝国陸軍
建造所 浦賀船渠
母港 東京港/東京都
姉妹船 18隻
信号符字 SDRC→JOKD[1]
IMO番号 27691(※船舶番号)[1]
建造期間 170日
就航期間 7,834日
経歴
起工 1920年4月6日
進水 1920年7月21日
竣工 1920年9月22日
最後 1942年3月4日触雷沈没
要目
総トン数 4,469.28トン[2]
4,468.51トン[3]
純トン数 3,059.99トン[2]
載貨重量 6,599トン[2]
排水量 9,592トン(満載)[2]
垂線間長 109.73m[2]
型幅 15.54m[2]
型深さ 8.62m[2]
高さ 24.07m(水面からマスト最上端まで)
6.70m(水面から船橋最上端まで)
12.80m(水面から煙突最上端まで)
満載喫水 7.01m[2]
ボイラー 石炭専燃缶
主機関 三連成レシプロ機関 1基[2]
推進器 1軸
出力 2,842IHP[1]
速力 10.0ノット[1]
航続距離 10ノットで15,000海里
1937年8月3日徴用。
高さは米海軍識別表[4] より(フィート表記)。
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盛岡丸(もりおかまる)は日本郵船貨物船[5]

船歴

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盛岡丸は浦賀船渠で建造され、1920年大正9年)4月6日起工、同年7月21日に進水し、9月22日に竣工した[3]。竣工後はインド航路などで運航された[2]

1937年昭和12年)8月3日、陸軍に徴用されるが、1938年(昭和13年)1月14日に解傭となった後、1941年(昭和16年)7月3日に再度陸軍に徴傭される[6]

1942年(昭和17年)3月4日、盛岡丸は石炭を積んで崎戸港から高雄へ向けて出航した[7]。しかし出航後まもなく密航者が発見され、引き返そうとしたようであるが、同日12時7分に日本軍が敷設した機雷に触れた[8]。盛岡丸は12時20分ごろに沈没した[9]。死者は出なかった[10]

脚注

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  1. ^ a b c d なつかしい日本の汽船 盛岡丸”. 長澤文雄. 2023年10月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 山田早苗「日本商船隊の懐古No.161」15ページ
  3. ^ a b 『浦賀船渠六十年史』建造船一覧表(5)ページ
  4. ^ Ehime_Maru_class
  5. ^ 『日本郵船戦時船史 上』43ページ。山田早苗「日本商船隊の懐古No.161」15ページ
  6. ^ 『日本郵船戦時船史 上』46ページ
  7. ^ 『日本郵船戦時船史 上』44ページ
  8. ^ 『日本郵船戦時船史 上』44-45ページ
  9. ^ 『日本郵船戦時船史 上』43ページ
  10. ^ 『日本郵船戦時船史 上』45-47ページ

参考文献

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  • 浦賀船渠株式会社(編)『浦賀船渠六十年史』浦賀船渠、1957年
  • 山田早苗「日本商船隊の懐古No.161」船の科学 第45巻第12号(No.530)、船舶技術協会、1992年、14-15ページ
  • 『日本郵船戦時船史 太平洋戦争下の社船挽歌 上』日本郵船、1971年

外部リンク

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