盛岡丸
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盛岡丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨物船 |
クラス | 神盛丸級貨物船 |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 | 日本郵船 |
運用者 |
日本郵船 大日本帝国陸軍 |
建造所 | 浦賀船渠 |
母港 | 東京港/東京都 |
姉妹船 | 18隻 |
信号符字 | SDRC→JOKD[1] |
IMO番号 | 27691(※船舶番号)[1] |
建造期間 | 170日 |
就航期間 | 7,834日 |
経歴 | |
起工 | 1920年4月6日 |
進水 | 1920年7月21日 |
竣工 | 1920年9月22日 |
最後 | 1942年3月4日触雷沈没 |
要目 | |
総トン数 |
4,469.28トン[2] 4,468.51トン[3] |
純トン数 | 3,059.99トン[2] |
載貨重量 | 6,599トン[2] |
排水量 | 9,592トン(満載)[2] |
垂線間長 | 109.73m[2] |
型幅 | 15.54m[2] |
型深さ | 8.62m[2] |
高さ |
24.07m(水面からマスト最上端まで) 6.70m(水面から船橋最上端まで) 12.80m(水面から煙突最上端まで) |
満載喫水 | 7.01m[2] |
ボイラー | 石炭専燃缶 |
主機関 | 三連成レシプロ機関 1基[2] |
推進器 | 1軸 |
出力 | 2,842IHP[1] |
速力 | 10.0ノット[1] |
航続距離 | 10ノットで15,000海里 |
1937年8月3日徴用。 高さは米海軍識別表[4] より(フィート表記)。 |
船歴
[編集]盛岡丸は浦賀船渠で建造され、1920年(大正9年)4月6日起工、同年7月21日に進水し、9月22日に竣工した[3]。竣工後はインド航路などで運航された[2]。
1937年(昭和12年)8月3日、陸軍に徴用されるが、1938年(昭和13年)1月14日に解傭となった後、1941年(昭和16年)7月3日に再度陸軍に徴傭される[6]。
1942年(昭和17年)3月4日、盛岡丸は石炭を積んで崎戸港から高雄へ向けて出航した[7]。しかし出航後まもなく密航者が発見され、引き返そうとしたようであるが、同日12時7分に日本軍が敷設した機雷に触れた[8]。盛岡丸は12時20分ごろに沈没した[9]。死者は出なかった[10]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 浦賀船渠株式会社(編)『浦賀船渠六十年史』浦賀船渠、1957年
- 山田早苗「日本商船隊の懐古No.161」船の科学 第45巻第12号(No.530)、船舶技術協会、1992年、14-15ページ
- 『日本郵船戦時船史 太平洋戦争下の社船挽歌 上』日本郵船、1971年