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百済王安義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
百済王安義
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 承和4年12月2日838年1月1日
官位 従四位下右兵衛督
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 百済王氏
教福
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百済王 安義(くだらのこにきし あんぎ)は、平安時代初期の貴族官位従四位下右兵衛督

経歴

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嵯峨朝弘仁9年(818年従五位下叙爵する。

弘仁14年(823年淳和天皇大嘗会で従五位上に叙せられ、天長7年(830年正五位下に昇進する。仁明朝初頭の天長10年(833年従四位下承和元年(834年右兵衛督に叙任されている。

承和4年12月2日(838年1月1日)卒去。最終官位は右兵衛督従四位下。

官歴

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六国史』による。

系譜

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  • 父:不詳
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:百済王教福(807-854)[1]

脚注

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  1. ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡元年4月2日条

参考文献

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