白銀義方
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白銀 義方(しろがね よしかた、1893年(明治26年)5月18日[1] - 1957年(昭和32年)11月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
経歴
[編集]山口県出身[1][2]。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校第27期卒業[3]。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校第35期卒業[4]。
1937年(昭和12年)7月、第3師団参謀に任じ[2]、支那事変に出動[1]。大場鎮、蘇州河の敵陣地を破砕し、南京を攻陥した[1]。
1938年(昭和13年)3月、陸軍歩兵大佐に進み陸軍習志野学校教官に転じる[2]。同年7月、教育総監部第5課長となり、1939年(昭和14年)3月、歩兵第31連隊長を経て、1940年(昭和15年)3月、陸軍習志野学校教官に復職し、1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に進級した[2]。
ついで同年12月、陸軍習志野学校長に就任し、1944年(昭和19年)2月、化兵監を経て、同年6月、陸軍中将に進んだ[2]。
同年7月、留守第51師団長を経て、1945年(昭和20年)4月、第151師団長に親補され、水戸にて本土決戦に備える中、終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。