白勢誠一
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白勢 誠一(しろせ せいいち[1]、1913年(大正2年)10月22日[2] - 1982年(昭和57年)10月26日[3])は、日本の実業家。白勢商事社長[4]。早稲田大学校友会 新潟市稲門会会長[4]。新潟県損害保険代理業協会初代会長[5]。
経歴
[編集]新潟県新潟市出身。白勢量作の長男[2][6]。1938年、早稲田大学商学部卒業[1][2]。1944年、白勢代表社員となる[1]。1953年、白勢商事社長に就任[1]。
1954年、新潟商工会議所監事に選ばれる[1]。1959年、第四銀行監査役を兼ねる[1][4]。1982年(昭和57年)10月26日死去[3]。
人物
[編集]趣味はゴルフ、囲碁[1]。宗教は浄土真宗[1]。住所は新潟県新潟市本町通八番町[1]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 白勢家
- 祖父・春三[6](1863年 - 1941年、新潟商工会議所顧問、資産家、第四銀行頭取、白勢合名代表、衆議院議員、貴族院議員)
- 父・量作[6](1883年 - 1944年、新潟商工会議所会頭、白勢合名代表、東北配電社長)
- 姉・フミ(1911年 - ?、千葉、小幡治和の妻)[8]
- 妻(新潟、二宮孝順の四女)[8]
- 長男・仁士(白勢商事社長)
- 娘
- 親戚
- 小幡治和(官僚、参議院議員、防衛政務次官)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第25版 上』し162頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月4日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』新潟23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月7日閲覧。
- ^ a b c d 『官報』叙位・叙勲、昭和57年11月9日
- ^ a b c 牛木護「新潟市稲門会の沿革を展望する」、早稲田大学校友会 新潟市稲門会公式サイト。
- ^ 目的とあゆみ、一般社団法人新潟県損害保険代理業協会公式サイト。
- ^ a b c 『越・佐傑人譜 昭和14年度版』し14-15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月7日閲覧。
- ^ 白勢商事株式会社の歴史、白勢商事株式会社公式サイト。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』シ111頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 日本風土民族協会編『越・佐傑人譜 昭和14年度版』日本風土民族協会、1938年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。