白井重遠
表示
白井 重遠(しらい しげとお、天保8年2月18日(1837年3月24日) - 大正2年(1913年)9月4日)は、日本の政治家、西田川郡西郷村村長、庄内藩新徴組取扱役。号は為右衛門。
略歴
[編集]- 1837年(天保8年) - 庄内藩士・白井重言の長男として生れる。
- 1864年(元治元年) - 新徴組取扱役 就任
- 1868年(明治元年) - 家督を相続
- 1872年(明治5年) - 松ヶ岡開墾折組頭 就任
- 1879年(明治12年) - 隠居
- 西田川郡大山村外7ヶ村の戸長
- 1889年(明治22年) - 同村 助役 就任
- 1904年(明治37年)8月 - 西田川郡西郷村長 就任
- 大山川に堤防を築造する。
- 湯野浜隧道を開通させる。
- 1912年(大正元年)8月 - 同職退任
- 1913年(大正2年) - 77歳で死去、鶴岡市の総穏寺に墓がある。
栄典
[編集]親族・血族
[編集]- 遠縁:白井重行 - 儒学者
- 遠縁:白井重固 - 歌人
- 遠縁:白井重高 - 漢学者
- 遠縁:白井久井 - 婦人運動家
- 父:白井重言 - 庄内藩蝦夷地元締
- 長男:白井重任 - 教育者
- 孫(重任の長男):白井重麿 - 旧鶴岡市第10代市長
- 次男:白井重士 - 陸軍少佐
- 六男:白井勇 - 参議院議員
- 娘:白井鈺井 - 石原莞爾の母[2]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第7427号・付録「叙任及辞令」1908年4月2日。
- ^ 『石原莞爾 生涯とその時代』阿部博行 ISBN 978-4588316326