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由良貞長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
由良貞長
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝4年(1676年
死没 享保12年4月29日1727年6月18日
別名 源之助、刑部(通称
戒名 長照院殿空山良義大居士
墓所 芝二本榎の國昌寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 由良氏
父母 由良頼繁柳原資行娘?
貞整福島正森烏山貞尭
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由良 貞長(ゆら さだなが)は、江戸時代前期から中期にかけての高家旗本由良家6代当主。

略歴

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延宝4年(1676年)、由良頼繁の長男として誕生。『寛政重修諸家譜』に「母は某氏」とあるが、家伝には「母は柳原権大納言資行卿女」とある。正妻はいない。

元禄15年(1702年)7月21日、家督を継いだ。初め寄合に列す。元禄16年(1703年)3月28日、5代将軍・徳川綱吉御目見し、宝永7年(1710年)12月23日、表高家となる。

享保12年(1727年)4月29日、死去。長男・貞整が家督を継いだ。

系譜

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脚注

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