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田淵義久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たぶち よしひさ

田淵 義久
生誕 田淵 義久
(1932-10-19) 1932年10月19日
日本の旗 日本岡山県
死没 (2023-11-08) 2023年11月8日(91歳没)
日本の旗 日本
死因 肺炎
国籍 日本の旗 日本
別名 小田淵(小タブチ)
出身校 早稲田大学政治経済学部経済学科
職業 実業家
活動期間 1956年2023年
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田淵 義久(たぶち よしひさ、1932年10月19日 - 2023年11月8日)は、日本の実業家。野村證券(現在の野村ホールディングス代表取締役社長SBI子ども希望財団理事長などを務めた。

岡山県出身[1]

同姓で出身都道府県も同一である前任の田淵節也(大タブチ<おおタブチ、だいタブチ>。血縁関係はない)との区別のため、「小タブチ」(こタブチ、しょうタブチ)との愛称がある[2]

経歴

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1956年早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に野村證券に入社[1]。中期国債ファンドの開発などに携わった[3]

梅田支店長、福岡支店長を経て、1977年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年12月に副社長に就任し、1985年12月には社長に昇格した[1]経済団体連合会副会長も務めたが、1991年6月に大口投資家への損失補てんと暴力団関係者との取引といった不祥事の責任を取る形で辞任[4]

1995年に取締役として復帰[5]

2023年11月8日に死去[6]。91歳没。証券界から去った後は、虐待を受けた児童らを支援する「SBI子ども希望財団」の理事長を務めていた[7]

脚注

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  1. ^ a b c 人事興信所 1991, た97頁.
  2. ^ バブル秘史 波乱の証券業界③ 大蔵省の虎の尾を踏んだ野村証券の「小田淵」”. エコノミスト (2021年11月29日). 2023年11月27日閲覧。
  3. ^ 野村証券元社長の田淵義久さん死去、91歳 損失補填問題などで91年に引責辞任”. 日刊スポーツ (2023年11月10日). 2023年11月29日閲覧。
  4. ^ 1991年6月24日日本経済新聞夕刊 p1
  5. ^ 1995年5月18日日本経済新聞朝刊 p1
  6. ^ "元野村証券社長の田淵義久氏が死去 損失補填で引責辞任". 産経ニュース. 産経デジタル. 10 November 2023. 2023年11月10日閲覧
  7. ^ “証券業界「ガリバー」絶頂期けん引、不祥事も 田淵義久さん死去”. 毎日新聞. (2023年11月10日). https://mainichi.jp/articles/20231110/k00/00m/020/186000c 2023年11月10日閲覧。 

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 下』人事興信所、1991年。 
先代
田淵節也
野村證券社長
第7代: 1985年 - 1991年
次代
酒巻英雄