コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田村裕之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田村 裕之
Hiroyuki Tamura
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-09-18) 1981年9月18日(43歳)
出身地 日本の旗 石川県金沢市
ラテン文字 Hiroyuki Tamura
身長 198cm
体重 83kg
選手情報
ポジション MB
指高 253cm
スパイク 345cm
テンプレートを表示

田村 裕之(たむら ひろゆき、1981年9月18日 - )は、日本の実業家、元男子バレーボール選手。

来歴

[編集]

石川県金沢市出身。金沢市立西南部中学校1年次からバレーボールを始める。高校は石川県立金沢商業高等学校へ進学、2年下に前田和樹がいた。3年次にはキャプテンに選ばれ、インターハイに出場した[1]

2000年、中央大学へ進学。同期に松永理生。コーチの栗生澤淳一から指導を受けた。2003年、4年次の黒鷲旗での活躍がVリーグチームのスカウトの目に止まった[1]

2004年、旭化成スパーキッズへ加入するも、母体の都合で2006年シーズン末にチームは解散となった[2]

2006年、JTサンダーズへ移籍した[2]。2009-10シーズン開幕前に右ひざ靭帯を損傷、シーズンを棒に振った[3]。2012年、サンダーズを退団、JTを退社する[4]

2013年、父の経営する株式会社タムラテントに入社[5]。2020年10月に社長に就任した[6][7]

所属チーム

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b インタビュー”. JTサンダーズ公式. 2010年9月11日閲覧。
  2. ^ a b 旭化成株式会社からの田村裕之選手の退社について”. スパーキッズ公式 (2006年7月20日). 2010年9月11日閲覧。
  3. ^ ベテラン田村奮起 バレー男子JT、29日から連戦”. 中国新聞 (2011年1月27日). 2011年1月27日閲覧。
  4. ^ JTの徳元が引退 小川ら退部”. 中国新聞 (2012年5月18日). 2012年5月18日閲覧。
  5. ^ 【17.07.01】次代を担う 次代を託す(13) :石川県中小企業家同友会”. ishikawa.doyu.jp. 2024年3月22日閲覧。
  6. ^ 【21.02.01】事業承継(55) :石川県中小企業家同友会”. ishikawa.doyu.jp. 2024年3月22日閲覧。
  7. ^ 企業情報”. 株式会社タムラテントのウェブサイトです。 (2019年5月27日). 2024年3月22日閲覧。

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]