田村博
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田村 博(たむら ひろし、1935年(昭和10年)4月14日 - 2010年(平成22年)8月28日)は、日本の人間工学者。工学博士。モバイル学会初代会長。ヒューマンインタフェース学会名誉会員(第1号)、京都工芸繊維大学名誉教授。
略歴
[編集]新潟県新潟市出身[1]。1954年(昭和29年)3月に新潟高等学校を卒業、1958年(昭和33年)3月に京都大学工学部電気工学科を卒業、1963年(昭和38年)3月に京都大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程を修了[1][注 1]。
1963年(昭和38年)に京都大学工学部助手に就任[注 2]、同年9月に退任、10月に大阪大学基礎工学部制御工学科助手に就任、1964年(昭和39年)に同講師に就任、1966年(昭和41年)に同助教授に就任[1][注 3]。
1988年(昭和63年)に京都工芸繊維大学工芸学部電子情報工学科教授に就任、1999年(平成11年)に京都工芸繊維大学を定年退官、京都工芸繊維大学名誉教授の称号を受称[1]。
2001年(平成13年)に広島国際大学人間環境学部特任教授および感性情報学科長に就任、2005年(平成17年)に広島国際大学を退職[1]。
2007年(平成19年)3月にモバイル学会初代会長に就任[3][4][5]、2010年(平成22年)にモバイル学会会長を退任。
ヒューマンインタフェースという分野を確立して日本および海外でヒューマンインタフェースの概念の普及に努めた[注 4]。また、数多くのヒューマンインタフェースの技術者や研究者を育成した[1][2][6][7]。
著書
[編集]編書
[編集]監訳書
[編集]- 『利用者インタフェース・ソフトウェア設計ガイドライン』1984年版、S. L. Smith・J. N. Mosier[編]、インタフェース・ソフトウェア研究会、1986年。
- 『利用者インタフェース・ソフトウェア設計ガイドライン』1986年最終版、S. L. Smith・J. N. Mosier[編]、インタフェース・ソフトウェア研究会、1988年。
論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 『モバイル学会誌』第1巻第1号、2頁。『ヒューマンインタフェース学会誌』第12巻第4号、233頁。
- ^ a b c 『ヒューマンインタフェース学会誌』第12巻第4号、234頁。
- ^ 学会紹介 | モバイル学会
- ^ 特定非営利活動法人モバイル学会 設立趣旨書 (PDF)
- ^ 特定非営利活動法人モバイル学会 定款 (PDF)
- ^ 名誉会員推薦 - ヒューマンインタフェース学会
- ^ 田村博先生のご逝去を悼んで - 黒川隆夫・鈴木良次 - 大阪大学基礎工学部生物工学コース
参考文献
[編集]- 「故 田村博先生を送ることば (PDF) 」『モバイル学会誌』第1巻第1号、2頁、宮尾克[著]、モバイル学会、2011年。
- 「田村博先生のご逝去を悼んで」『ヒューマンインタフェース学会誌』第12巻第4号、233-235頁、黒川隆夫[著]、ヒューマンインタフェース学会、2010年。
- 「田村博」『現代 物故者事典 2009〜2011』388頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2012年。
- 「田村博」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』540頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
関連文献
[編集]- 「ヒューマンインタフェースの展望」『テレビジョン学会誌』第44巻第8号、961-966頁、田村博[著]、テレビジョン学会、1990年。
- 「人間中心のシステムと人間活動の活性化」『電気学会論文誌D』第111巻第12号、1000-1002頁、田村博[著]、電気学会、1991年。
- 「ヒューマン・インタフェースのめざすもの」『計測と制御』第31巻第1号、242-245頁、田村博[著]、計測自動制御学会、1992年。
- 「こころと感性のエンジニアリング」『計測と制御』第33巻第3号、183-185頁、田村博[著]、計測自動制御学会、1994年。
- 「「発想の森」メタファを用いたネットワーク会議の研究」『生産管理』第6巻第2号、17-24頁、丁井雅美・田村博[著]、日本生産管理学会、1999年。
- 「ケータイの文字入力とそのメンタルプロセス」『バイオメカニズム学会誌』第28巻第3号、112-116頁、田村博[著]、バイオメカニズム学会、2004年。
外部リンク
[編集]学職 | ||
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先代 設立 |
モバイル学会会長 初代:2007年 - 2010年 |
次代 赤松幹之 |