田文炳
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田文炳 | |
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プロフィール | |
出生: | 1891年(清光緒17年) |
死去: |
1944年(民国33年)(1945年とも) 中華民国 |
出身地: | 清河南省衛輝府新郷県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 田文炳 |
簡体字: | 田文炳 |
拼音: | Tián Wénbǐng |
ラテン字: | T'ien Wen-ping |
和名表記: | でん ぶんへい |
発音転記: | ティエン ウェンビン |
田 文炳(でん ぶんぺい)は中華民国の軍人。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。字は仲韜。
事績
[編集]陸軍特別軍官学堂を卒業後、直隷派の斉燮元配下となり、蘇浙巡閲使署上校参謀に任命された。後に、安徽省清郷総弁皖北道尹に異動している。
日中戦争勃発後、斉燮元とともに中華民国臨時政府に参加する。治安部部長となった斉の下で、田文炳は1938年(民国27年)9月17日、治安部保衛局少将局長に任ぜられた[1][2]。
1940年(民国29年)3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)に臨時政府が合流し、華北政務委員会へ改組される。5月4日、田文炳は治安総署軍諮局局長に任命された[3]。また、華北綏靖軍総司令も兼ねた斉燮元の下で、田は治安第9集団軍中将司令を兼任している。1943年(民国32年)3月1日、田は陳静斎の後任として河南省長に任命され[4]、翌年5月までその地位に在った。
田文炳は、日中戦争が終結する以前に死去したが、具体的な時期は不詳である。
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
南京国民政府(汪兆銘政権)
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