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田文炳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田文炳
プロフィール
出生: 1891年光緒17年)
死去: 1944年民国33年)1945年とも)
中華民国
出身地: 清の旗 河南省衛輝府新郷県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 田文炳
簡体字 田文炳
拼音 Tián Wénbǐng
ラテン字 T'ien Wen-ping
和名表記: でん ぶんへい
発音転記: ティエン ウェンビン
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田 文炳(でん ぶんぺい)は中華民国の軍人。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。仲韜

事績

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陸軍特別軍官学堂を卒業後、直隷派斉燮元配下となり、蘇浙巡閲使署上校参謀に任命された。後に、安徽省清郷総弁皖北道尹に異動している。

日中戦争勃発後、斉燮元とともに中華民国臨時政府に参加する。治安部部長となった斉の下で、田文炳は1938年民国27年)9月17日、治安部保衛局少将局長に任ぜられた[1][2]

1940年(民国29年)3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)に臨時政府が合流し、華北政務委員会へ改組される。5月4日、田文炳は治安総署軍諮局局長に任命された[3]。また、華北綏靖軍総司令も兼ねた斉燮元の下で、田は治安第9集団軍中将司令を兼任している。1943年(民国32年)3月1日、田は陳静斎の後任として河南省長に任命され[4]、翌年5月までその地位に在った。

田文炳は、日中戦争が終結する以前に死去したが、具体的な時期は不詳である。

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  1. ^ 臨時政府令、令字第260号、民国27年9月17日(『政府公報』第35号、民国27年9月19日、臨時政府行政委員会公報処、1頁)。
  2. ^ 劉ほか編(1995)、1023頁。
  3. ^ 華北政務委員会任用令、任字第57号、民国29年5月4日(『華北政務委員会公報』第1-6期合刊、民国29年6月9日、華北政務委員会政務庁情報局、本会16頁)。
  4. ^ 「北支省長更迭 現役将軍を任命」『朝日新聞』(東京)昭和18年(1943年)3月3日、2面。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
陳静斎
河南省長
1943年3月 - 1944年5月
次代
邵文凱