田川市立田川西中学校
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田川市立田川西中学校 | |
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北緯33度37分43.6秒 東経130度47分40.3秒 / 北緯33.628778度 東経130.794528度座標: 北緯33度37分43.6秒 東経130度47分40.3秒 / 北緯33.628778度 東経130.794528度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 田川市 |
併合学校 |
田川市立後藤寺中学校 田川市立弓削田中学校 田川市立田川中学校 |
設立年月日 | 2023年(令和5年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C140220600101 |
所在地 | 〒826-0025 |
福岡県田川市大黒町11番6号 (旧・後藤寺中学校跡地) | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
田川市立田川西中学校(たがわしりつ たがわにしちゅうがっこう)は、福岡県田川市大黒町にある市立の中学校。
概要
[編集]- 校章
- 公募により制定された。田川市の花であるツツジの花弁をモチーフにし、中央に校名の「西中」の文字(縦書き)を配している。
- 校歌
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- 施設
- 開校にあたり、旧・後藤寺中学校の校地に、校舎・体育館一体型の新校舎が建設された[1]。
- 通学区域
- 通学手段
- 学校から自宅までの距離が1.5km以上の場合は自転車通学、2km以上の場合はスクールバス通学(いずれも許可制)が認められている。田川西中学校のスクールバス路線は以下の2路線[2]。
- 1 田川中学校(松原団地経由)
- 2 籾井社宅(見立経由)
- 制服
- 新設された2校(田川東・田川西)ともに、基本的に共通のデザインとなっている。
- なお、冬服のネクタイ・リボン、および夏服ポロシャツのマークの色の違いで、両校を判別する。田川西中学校は「臙脂色」、田川東中学校は「青色」となっている
- 開校に先立ち、2022年(令和4年)4月入学生(3中学校)より新しい制服のデザインとなった。
沿革
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旧・3校
[編集]- 旧・後藤寺中学校(ごとうじ)
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革により、新制中学校「田川市立後藤寺中学校」が創立。当面の間、田川市立後藤寺東小学校に併設される。初代校長は寺岡智。
- 4月16日 - 開校式を挙行。
- 1951年(昭和26年)1月31日 - 木造新校舎が完成し、全生徒が移転を完了。これにより、小学校との併設を解消。
- 1966年(昭和41年)- プールが完成。
- 1957年(昭和32年)- 校歌を制定。
- 1982年(昭和57年)- 鉄筋コンクリート造新校舎が完成。
- 1994年(平成6年)- 新体育館が完成。
- 2020年(令和2年)7月 - 統合に向けての新校舎建設のため、グラウンドの仮設校舎に移転。移転後、校舎の解体に着手。
- 2023年(令和5年)3月31日 - 閉校。76年の歴史に幕を下ろす。校地は新設の田川市立田川西中学校に継承される。
- 旧・弓削田中学校(ゆげた)
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革により、新制中学校「田川市立弓削田中学校」が創立。当面の間、田川市立後藤寺西小学校に併設される。初代校長は川谷福次。校歌を制定。
- 4月16日 - 開校式を挙行。
- 1949年(昭和24年)4月 - 木造新校舎(第一期工事)が完成。生徒の一部が移転。
- 1950年(昭和25年)9月 - 木造新校舎(第二期工事)が完成。全生徒の移転を完了し、小学校との併設を解消。
- 1966年(昭和41年)- 体育館が完成。
- 1983年(昭和58年)10月 - 鉄筋コンクリート造新校舎が完成。
- 2005年(平成17年)12月 - 新体育館が完成。
- 2023年(令和5年)3月31日 - 閉校。76年の歴史に幕を下ろす。
- 最終所在地 - 〒825-0041 田川市弓削田1222番地(北緯33度38分06.5秒 東経130度46分53.4秒 / 北緯33.635139度 東経130.781500度)
- 校訓 - 「自治・親愛・勤労」[4]
- 校章 - 校名である「弓削田(ゆげた)」のイニシャルである「Y」の文字を背景にして、中央に「中」の文字を配している[4]。
- 校歌 - 1947年(昭和22年)に制定。作詞は七俵寛治、作曲は池田勝重による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
- 旧・田川中学校(たがわ)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)- 生徒数の急増により、午前の部・午後の部で二部授業を実施。
- 1949年(昭和24年)
- 8月 - 木造新校舎(15教室)が完成し、2・3年生を収容。
- 9月 - 校区改定により、伊田中学校から新町・西大通・日の出町・栄町地区の生徒180名が転入。
- 1950年(昭和25年)
- 1月 - 木造校舎2棟が完成。全生徒の移転を完了し、小学校との併設を解消。
- 4月1日 - 「田川市立田川中学校」に改称。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 校区改定により、弓削田中学校から横島地区の生徒が転入。
- 1962年(昭和37年)- 体育館が完成。
- 1971年(昭和46年)3月 - 鉄筋コンクリート造新校舎が完成。
- 1989年(平成元年)3月 - 新体育館が完成。
- 2023年(令和5年)3月31日 - 閉校。76年の歴史に幕を下ろす。
- 最終所在地 - 〒825-0005 田川市糒(ほしい)1959番地(北緯33度39分14.1秒 東経130度47分51.0秒 / 北緯33.653917度 東経130.797500度)
- 校訓 - 「自治・協同・勤勉」
- 校章 - 校名の「田」の文字と「川」の文字を図案化して組み合わせ、中央に「中」の文字を配している[4]。
- 校歌 - 1959年(昭和34年)制定。作詞は寺岡智、作曲は田中凡平による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
統合・田川西中学校
[編集]- 開校に向けて
- 2017年(平成29年)9月 - 田川市教育委員会により、「田川市新中学校創設基本計画(案)」が作成される。
- 2019年(令和元年)6月 - 「田川市新中学校創設基本計画」が策定される。
- 2020年(令和2年)
- 5月 - 新中学校基本設計案が完成。
- 6月 - 当初、2022年(令和4年)4月の開校を目指していたが、1年延期し、2023年(令和5年)4月開校とする。
- 7月 - 後藤寺中学校はグラウンドに建設された仮設校舎に移転。後藤寺中学校校舎の解体および新校舎建設に着手。
- 12月 - 校名が「田川市立田川西中学校」に決定。新制服の導入時期を開校1年前の2022年(令和4年)4月とする。
- 2021年(令和3年)
- 1月 - 後藤寺中学校校舎の解体を完了。
- 8月 - 新制服のデザインが決定。
- 2022年(令和4年)4月 - この時の入学生より新制服を導入。
- 開校
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 田川市コミュニティバス 「春日神社前」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 田川市立後藤寺小学校
- 春日神社
- 中元寺川
- 中元寺水辺公園
脚注
[編集]- ^ 「新中学校施設紹介」 (PDF) (広報たがわ, 2023年(令和5年)2月号(1572号)) - 田川市ウェブサイト
- ^ 「スクールバス・自転車通学が始まります」 (PDF) (広報たがわ, 2023年(令和5年)2月号(1572号))- 田川市ウェブサイト
- ^ 「中学校再編に伴う新しい制服の導入について」 - 田川市ウェブサイト
- ^ a b c d e 「ありがとう 我が母校~中学校閉校~」 (PDF) (広報たがわ 2023年(令和5年)5月15日 1577号)- 田川市ウェブサイト
- ^ 「新中学校、田川東中・田川西中で初めての入学式が行われました」 (PDF) (田川市教育委員会だより GuRuMi, 第18号, 2023年(令和5年)7月1日発行) - 田川市ウェブサイト
参考資料
[編集]- 「田川市誌」(1954年(昭和29年)12月1日発行, 田川市)
- 「田川市史 下巻」(1979年(昭和54年)3月1日発行, 田川市)
- 「学校再編」 - 田川市ウェブサイト
- 「ありがとう 我が母校~中学校閉校~」 (PDF) (広報たがわ 2023年(令和5年)5月15日 1577号)- 田川市ウェブサイト